フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

What can I do for you?

2005-10-11 00:51:18 | old stories
アメリカ留学の第6回目になるが,前回のタバコの臭いとどこかで関連していそうな話を思い出した。じつはぼくの車の免許の始めはアメリカで取得したものだった。当時も日本では海外で取得した免許についてはその国に少なくとも6ヶ月滞在していなければならないという規定があったのだが,1年の留学ではまったく問題がなかった。留学を半年も過ぎた頃に,ぼくは友人のオートマチックのゴルフを借りて,空き地で1,2回動かしてみただけだったが,2回目の試験で何とか受かったのだった。そんな危なっかしい技術にもかかわらず,学期休みのときに友人に誘われてカナダ旅行に出かけたのだった。

マサチューセッツから西に車を走らせて,すっかり凍ってしまったナイアガラの滝をみたり,そこからカナダに入って,トロントの日本人移民のおじいさんのところに泊めてもらったりして,楽しく何とか運転をしていた。その移民の日本人は日本語のイントネーションが英語化して,語彙もかなり英語にスイッチが起きていて,ぼくは不思議な人を見るようにその人の話を聞いていたものだ。しかし,なによりも驚いたのは,おじいさんの家の3階には畳が2畳分,敷いてあり,壁には教育勅語が飾られていた...。そしておじいさんは教育勅語をその時まで敬っていたのだった...

トロントからフランス語圏のケベックに入り,そこからセント・ローレンス川を渡ってアメリカのメーン州の山道を戻っていたときだった。夜の山道は暗く,鹿が飛び出してくるのを恐れながら,走っていった。しかし,どうにも車の調子が悪かった。ヘッドライトは暗くなるばかりで,峠を何とか越えて,平野に入ったところで,とうとう光が消え,やむなく車を止めるしかなくなったのだ。車を脇に置き,電話を探したが,見つからない。途方に暮れて1時間も経った頃,パトカーが止まってくれたのだ。ああ,助かった!とぼくはすっかりうれしくなって警官のところに行ったのだが,そのときの警官の言葉が上のタイトルのものだった。それもやはり大きく響く声で。ぼくがとっさに悟ったのは,あ,ここでは道の脇に車を止めて呆然としている人間でも助けて欲しいかどうかを説明しなければならないということだった。警官が事情を察してくれるわけではなく,事情を察してもらうためにこちらが説明しなければならないのだ。自分を守るのは自分であって,警官ではない。先生でもない。他の誰でもない。

そんなことをあのやすいレンタカーを借りたためにぼくは学んだのだが,この経験もまたタバコの強い臭いのようにドスの効いた経験だった気がする。


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