今学期の大学院講義は昨年に引き続き、Neustupny先生の論文の翻訳と注釈を行っています。その中での議論はまたどこかで触れることがあると思いますが、今日はnative speakerの訳語について少しだけ書きます。
じつはこれは学部1年生の教養科目で言語政策について話している中での話題だったのですが、問題は次のようなところにあります。mother tongueはまさに母語であって、親や育ててくれた人から習得したものです。しかし、native languageと言うと、これは国語とも言えないもので、かなり使われている範囲に制限があるようです。つまり、育った地域で話されている言葉というニュアンスがありそうです。つまり、これは母語ではなく、地域共通語のようなものなんですね。
日本にいるとわからなくなるのですが、学生の中に朝鮮族の人がいて、彼女は家や近所で話していたのは朝鮮語だけれど、それから買い物などでは中国語を話さなくてはならないようになり、最初は下手だったけれど今では血となり肉となっていると言うわけです。この場合、母語は朝鮮語であり、native languageは中国語ということになるのでしょう。
オーストラリアの知り合いの娘さんは8歳で香港からオーストラリアに渡り、両親は中国文化と中国語(広東語)を教育したつもりだったのですが、20歳のあるとき、自分の机の中から何を書いているかわからないノートが出てきたそうです。両親に「これは何」と聞いたところ、今度は両親のほうが驚いてしまったのです。なぜならそれは8歳まで彼女が中国語で書いていた日記だったのです。つまり、自分で書いた日記が読めなくなっていたわけです。母語はこのように消滅することもあるのです。
native speakerについての疑問はかなり頻繁に社会言語学では指摘されているようで、そうした著作では、fluent speakerという言葉のほうが適切だろうと言われています。
じつはこれは学部1年生の教養科目で言語政策について話している中での話題だったのですが、問題は次のようなところにあります。mother tongueはまさに母語であって、親や育ててくれた人から習得したものです。しかし、native languageと言うと、これは国語とも言えないもので、かなり使われている範囲に制限があるようです。つまり、育った地域で話されている言葉というニュアンスがありそうです。つまり、これは母語ではなく、地域共通語のようなものなんですね。
日本にいるとわからなくなるのですが、学生の中に朝鮮族の人がいて、彼女は家や近所で話していたのは朝鮮語だけれど、それから買い物などでは中国語を話さなくてはならないようになり、最初は下手だったけれど今では血となり肉となっていると言うわけです。この場合、母語は朝鮮語であり、native languageは中国語ということになるのでしょう。
オーストラリアの知り合いの娘さんは8歳で香港からオーストラリアに渡り、両親は中国文化と中国語(広東語)を教育したつもりだったのですが、20歳のあるとき、自分の机の中から何を書いているかわからないノートが出てきたそうです。両親に「これは何」と聞いたところ、今度は両親のほうが驚いてしまったのです。なぜならそれは8歳まで彼女が中国語で書いていた日記だったのです。つまり、自分で書いた日記が読めなくなっていたわけです。母語はこのように消滅することもあるのです。
native speakerについての疑問はかなり頻繁に社会言語学では指摘されているようで、そうした著作では、fluent speakerという言葉のほうが適切だろうと言われています。