10月6日(木)は,お昼にアメリカ人の研究者と落ち合ってお昼ご飯をいっしょに食べました。彼女はなんとチェコのカレル大学で言語管理で博士課程の論文を書いている人です。ネクバピル教授の学生さんですが,私や連れ合いが執筆に参加することになっている計画中の本の共同編集者でもあります。
メールで数回やりとりをしただけで,どんな人なんだろうと思っていたのですが,ごくふつうのアメリカ人女性でした。コネチカット州出身ということで,私にはとても聞きやすい英語でもありました。プラハを訪れてその美しさに憧れて,大学卒業後にカレル大学の大学院に入ったそうです。それから8年の滞在になるそうです。
しかし,どうでもよいことかもしれませんが,英語母語話者であるアメリカ人が言語管理の用語を使って,論文を書いているのを読むのは少し感動します。これも言語管理が,外国人として生きている人にとって,とても魅力のあるものだということのもう1つの証明なのでしょう。連れ合いにしても,リサさんにしても,高さんにしても,皆,外国人として接触場面を生き,さまざまな管理をせざるを得ない環境にいた優秀な人たちが言語管理理論の中心にいるということと,同じことなのだと思います。
メールで数回やりとりをしただけで,どんな人なんだろうと思っていたのですが,ごくふつうのアメリカ人女性でした。コネチカット州出身ということで,私にはとても聞きやすい英語でもありました。プラハを訪れてその美しさに憧れて,大学卒業後にカレル大学の大学院に入ったそうです。それから8年の滞在になるそうです。
しかし,どうでもよいことかもしれませんが,英語母語話者であるアメリカ人が言語管理の用語を使って,論文を書いているのを読むのは少し感動します。これも言語管理が,外国人として生きている人にとって,とても魅力のあるものだということのもう1つの証明なのでしょう。連れ合いにしても,リサさんにしても,高さんにしても,皆,外国人として接触場面を生き,さまざまな管理をせざるを得ない環境にいた優秀な人たちが言語管理理論の中心にいるということと,同じことなのだと思います。