昨日は、第6回の研究会でした。
プラハのアメリカ人研究者に、プラハのアメリカ人伝道者の言語管理と、インターアクション・インタビューの課題について話をしてもらいました。私は司会だったのですが、英語で四苦八苦していたと言ってよいでしょう。なぜかと言うと、計画せずに英語が出てくる場面と、計画していた英語の話をしようとする場面とが入り交じって、頭の中でうまく調整ができなかったのです。たぶん、前もって計画しないほうが話はもっとスムースだったと思うのですが、そうするときっと細かな話ができなかったわけで、中途半端な能力は困ったものです。
インターアクション・インタビューではinformantsはこちらの期待に沿って特定の時間と場所の行動とそこでの言語管理について話してくれるとは限りません。むしろ、日常的に行っていることや規範的なこともよく口に出すのです。しかし、それはinformantsがだめだからではなく、さまざまな表現と内容を駆使することで、インタビュアーが強いてくる枠組みとは違う、自分の経験のリアリティを維持しようとしていると考えるべきだと思います。どのような内容と表現を使っているか、インタビューの文字化資料を検証することで、インターアクション・インタビューの欠点であるcross-examinationが出来ないという事実を補うことが出来るだろうと思っています。
プラハのアメリカ人研究者に、プラハのアメリカ人伝道者の言語管理と、インターアクション・インタビューの課題について話をしてもらいました。私は司会だったのですが、英語で四苦八苦していたと言ってよいでしょう。なぜかと言うと、計画せずに英語が出てくる場面と、計画していた英語の話をしようとする場面とが入り交じって、頭の中でうまく調整ができなかったのです。たぶん、前もって計画しないほうが話はもっとスムースだったと思うのですが、そうするときっと細かな話ができなかったわけで、中途半端な能力は困ったものです。
インターアクション・インタビューではinformantsはこちらの期待に沿って特定の時間と場所の行動とそこでの言語管理について話してくれるとは限りません。むしろ、日常的に行っていることや規範的なこともよく口に出すのです。しかし、それはinformantsがだめだからではなく、さまざまな表現と内容を駆使することで、インタビュアーが強いてくる枠組みとは違う、自分の経験のリアリティを維持しようとしていると考えるべきだと思います。どのような内容と表現を使っているか、インタビューの文字化資料を検証することで、インターアクション・インタビューの欠点であるcross-examinationが出来ないという事実を補うことが出来るだろうと思っています。