フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

田口晃著「ウィーン 都市の近代」(岩波新書)

2008-10-30 00:01:51 | my library
今年10月21日発行の岩波新書です。田口先生は私の学生時代の先生です。授業を受けたことはないのですが、ウィーンつながりで縁がありました。

後書きによると、1981年から83年にかけてウィーンに留学生活を送られています。私がマサチューセッツ留学の終わりに大西洋を渡ったのが82年6月でしたから、長くて暗い最初の冬を越して春の季節を迎えた頃に、私は先生のウィーンのアパートに何日かご厄介になったということになります。あのときはまずカフカのプラハに行き、そこからウィーンの南駅に着いたのでした。縁とは奇妙なもので、ネウストプニー先生はそのプラハ出身でしたし、その後、初めて日本語を教え始めたのもウィーンだったわけです。

先生のアパートは後書きにもある労働者の多いOtterklinger区にありました。ウィーンのアパートはそれほど広いわけでもないので、先生の机が玄関の狭い廊下の突き当たりに置かれていたのを覚えています。

それからまだ小さかった二番目の娘さんが「警察はpolizeiって言うのよ」と教えてくれたのも覚えています。ご家族といっしょにワインを飲みに行ったり、たしかシェーンブルン宮殿まで案内していただいたのではなかったかなと思います。

先生はオランダなどのヨーロッパ小国の政治史がご専門でしたが、その時代の先生の常で大変な博識で、芸術にも、歴史にも、そしてこの著書で扱われているような建築や経済、そして都市の構造についても何でも知っていたのを覚えています。ヨーロッパの強さは、近代主義が強いと同時にアンチ近代主義の歴史もまた200年も前からあることだ、とワイン(ウィーンでは、ワイン酒場ではワインに炭酸水を混ぜてよく飲むのですが)を傾けながら、話して下さったのを覚えています。ワインを飲んで談論に花を咲かせるというのは、長い黄昏文化ですよね、なんて話したかな。

6月の、11時にならないと夜にならない、長い長い黄昏の光がそこにはありました。

いろいろな研究をされてきたのだと思うのですが、ウィーン研究がライフワークの1つになっていったと書かれています。そしてあの頃から27年近くも経って、その成果の一部をまとめられたわけです。その息の長さを、やはり研究者として肝に銘じておきたいところ。

ウィーンについての著書としては、個人的には、良知力の遺作『青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年』(平凡社1985年)以来の骨のある著作だと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Clyne (1997) Multilingualism | トップ | 衣替え、あるいは越冬準備 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

my library」カテゴリの最新記事