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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ポーランドの「連帯」25周年の25年前

2005-09-04 00:26:18 | old stories
さて、アメリカ留学のold storiesの第3話。本当は時間の順番に行きたいのだけれど、世界は動いているし、僕自身も思考は移動していく。

ポーランドのグダニスクで自主管理労組「連帯」の25周年記念ミサが行われたという数日前の報道があった。「連帯」についてはさまざまなところに資料があるから読んでほしい。89年の共産党政権の崩壊に導き、そこからチェコのビロード革命、東独のベルリンの壁崩壊へと進んでいったのは歴史の事実だ。「連帯」創立25周年ということは、もちろん、創立は80年ということになる。留学の前年にあたるわけだ。

80年頃というのは、東西対立による冷戦構造が持ちこたえられなくなっていた時期で、市民レベルからプロテストが起こってきた時期にあたるように思う。同じ80年5月には軍事独裁的な政権下にあった韓国で光州事件が起こり、痛ましい鎮圧のされ方をしている。「連帯」による民主化と呼ばれる運動はものすごい勢いで国民の3分の1の組織化にまで拡大していく。東欧では何度も「春」とか「雪解け」とかといった言葉が使われてきたが、80年から81年にかけてのポーランドでは本当に春が来るような気がしたものだ。

しかし、冷静構造のバランスが保ちきれなくなりそうな緊張した国際政治の中で、春など来るはずもなかったのかもしれない。翌年の12月のその日、ぼくはマサチューセッツの田舎にある22階立ての大学生寮の20階で、同じフロアの仲間たちと一緒におしゃべりをしていた。もうとっくに冬だったけれどその日は日差しが暖かく、なぜか本当にのんびりしていたのだ。留学の興奮の3ヶ月が過ぎて、4ヶ月目に入っていた。

そのとき、ラジオの臨時ニュースが入り、ポーランドにmartial law が発令されました、と伝えたのだ。とっさにそれが戒厳令だとはわからなかったのだが、隣の女子学生が顔を両手で押さえながら、oh, my God!と叫んだのを聞いて、ひどいことが起こったことだけはすぐにわかった。アメリカのリベラルな州の20階の寮で、女子学生が遙かに遠いポーランドの出来事に対してこれほどまでに悲しむとは驚きだった。

ぼくにアメリカについてのなにがしかの信頼が残っているとすれば、その1つの要因は彼女の嘆きにあるのだと思う。今思うと、ぼくはこんなふうにして歴史を感じていたのだ。そんなわけで、24年前の記憶はぼくを立派に歴史の中に位置づけてくれるようだ(^_^);
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