今日は第5回の研究会を早稲田大学で開催しました。
サバティカルから戻ってきた宮崎里司さんが発題をしていましたが、日本語教育関係者が言語的な習得には熱心なのに同化には反対なのはなぜか?と問いかけていたのが印象的でした。私もコメントとして、じつは日本語教育関係者は外国人に日本人になってほしくないのではないか、外国人の部分を残しておいてほしいと思っているのではないかと述べました。
しかし、どちらにしても、外国人は日本語教育関係者が心配するような同化などするわけもないし、そのプロセスについてはすでに試論を提出しています。問題は、外国人が同化されることではなくて、日本人やメインストリームの日本社会が外国人を同化されたものとして扱ってしまうことのほうなのだと思います。
サバティカルから戻ってきた宮崎里司さんが発題をしていましたが、日本語教育関係者が言語的な習得には熱心なのに同化には反対なのはなぜか?と問いかけていたのが印象的でした。私もコメントとして、じつは日本語教育関係者は外国人に日本人になってほしくないのではないか、外国人の部分を残しておいてほしいと思っているのではないかと述べました。
しかし、どちらにしても、外国人は日本語教育関係者が心配するような同化などするわけもないし、そのプロセスについてはすでに試論を提出しています。問題は、外国人が同化されることではなくて、日本人やメインストリームの日本社会が外国人を同化されたものとして扱ってしまうことのほうなのだと思います。