フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ヴォルテール、吉村正一郎訳『カンディード』岩波文庫

2011-05-26 23:57:34 | my library
自転車で大学まで行き来をしたら、今日はなぜかとても重く、疲れて何もできなくなったので、夜は『カンディード』の残りを読了した。4月末から枕元で読んでいたのだが、薄い本なのに時間がかかってしまった。

初版は1956年で、手元にあるのは1978年の25刷のもの。今は植田祐次訳で岩波文庫に収められている。

この本は買ったのは大学1年のときだろうから、林達夫の影響に間違いない。最後のカンディードの言葉、「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さなければなりません」はあまりに有名だ。

本の最初のほうに1755年のリスボン大震災の記述がある。「恩人の死を嘆きながら、市中に足を踏み入れたかと思うと、たちまち足下の大地が振動するのを感じた。港内は海水泡立ち高潮して、碇泊中の船舶は破壊された。炎々たる焔、火の粉の渦巻が通りや広場を覆うた。家は倒れ、屋根は土台の上に落ち重なり、土台はばらばらに飛び散った。老若男女三万の住民は倒壊した家屋の下に圧しつぶされた。」(p.31)

ウィキペディアではこの地震をつぎのように記述している。

「1755年リスボン地震(1755ねんリスボンじしん)は、1755年11月1日に発生した地震。午前9時40分に[1] 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5 - 9.0。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。」

「11月1日はカトリックの祭日(諸聖人の日)であった。当時の記録では、揺れは3分半続いたというものや、6分続いたというものもある[2]。リスボンの中心部には5m幅の地割れができ、多くの建物(85%とも言われる)が崩れ落ちた。生き残ったリスボン市民は港のドックなどの空き地に殺到したが、やがて海水が引いてゆき(引き波)、海に落ちた貨物や沈んでいた難破船が次々にあらわになった。地震から約40分後、逆に津波(押し波)が押し寄せ、海水の水位はどんどん上がって港や市街地を飲み込み、テージョ川を遡った[3]。15mの津波はさらに2回市街地に押し寄せ、避難していた市民を飲み込んだ。津波に飲まれなかった市街地では火の手が上がり、その後5日間にわたってリスボンを焼き尽くした。ポルトガルの他の町でもリスボンのような惨禍に見舞われた。」

今回の震災と酷似したものであったことがわかる。

カンディードはさまざまな悲惨な目に遭いながら、楽天主義と悲観主義の哲学的議論をしていくが、最後に手に入れた畑と家に自足の必要を見いだすわけだ。しかし、今回、読んでみて、カンディードの言葉はそれに加えて、大言壮語をいましめて、足下の現実から始めなければならないということでもあるように感じる。

いつも意識の隅にいつづけていた『カンディード』だが、思わぬことで再び手に取ることになったものだ。
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