フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

心がほぐれない

2008-02-29 00:02:40 | today's focus
今日で閏年の2月は終わり。

外房の勝浦はかつお漁業と朝市の町だと言う。千葉からだと北から入るときの最奥、南からは鴨川までは割と楽になったけれど、そこから北上して天津小湊、さらに勝浦に辿り着くのには結構時間がかかる。

天津小湊の海岸からちょっと山に登ったところには日蓮聖人で有名な最澄寺があって、このあたりは日蓮宗、法華経の土地なのだと思う。そう、港の岸壁でおばあさんたちが二人の無事を祈って団扇太鼓を手に持って叩いていたのはその法華経の祈り、南無妙法蓮華経だったのだと思う。

漁協では二人を捜すために荒い海に何度も乗り出したけれど、海の藻屑となった船体中央部と二人の手がかりは見つからなかった。家族からはこうした海の事故の定めに従って1週間後に中断の依頼をした。家族や友達はおにぎりを海に落として供養とした。それは海を糧とする人々の態度なのだ。嘆かない。暮らしをつぶすような無理はしない。事故はいつ起るかわからない。覚悟をしなければ海を糧にすることはできない。一方で、相手のある事故に対しては毅然とした発言も忘れない。

タイトルは、漁を再開した勝浦の漁師のことばだ。

ほぐれる、とは大辞林では(1)結ばれたりもつれたりして固まったものが、分かれて離れる、(2)緊張・疲労・怒りなどが、おだやかな状態になる、(3)しそびれる、となる。新和英中辞典では、(1)<ほどける〉get loose; become disentangled、(2)〈解決する〉find (a clue to) the solution 《of》(3)〈和らぐ, 軟化する〉 get relieved; be softened、となる。

もう一方の側の出来事はこの日本に蔓延る多くの軽薄で崩壊した生活の態度そのものであり、その堕落のありさまは驚くに値しない。

ただ、勝浦の人とは人間の次元(レベル)が違うのだと思う。
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