フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

慶州(キョンジュ)行 その3:グラナトゥムまで

2008-07-20 21:17:47 | Busan finally
午後も2時を過ぎてようやく昼食。太陽の下から慶州郊外に立つ茅葺きレストランの個室に逃げ込んでほっと息をつく。みんなかなり疲れて、博物館と古墳公園と、それから人間国宝のおばあさんの家、というのがガイドの金さんの計画だったが、博物館か古墳公園かどちらかにしようと話していたのに、金さんには「頑張りましょう」と励まされてしまった。

とりあえず涼しい博物館に行く。新羅時代の鐘(これは洗練の極地で、しかも哀しくも怖い逸話が残っている)、古代からの慶州、新羅時代までの遺物の展示。古墳から発掘された金の装身具や王冠。そして、古墳公園。芝生で青々としたお饅頭型の古墳がいくつも残っているところ。

さて、そこからもう一路、釜山かと思ったら、金さんが「まあ、車から出なくてもいいから人間国宝のおばあさんの家に行ってみましょう」と言う。何でも新羅時代から王に献上していたお酒をその時代と同じ作り方で造っているという。その住居は韓国で一番古い300年まえの家だとのこと。小さな川にかかる橋の手前を左に曲がってすこしゆくと韓国風の料亭があり、その横に「酒」の看板が見えた。金さんは「あ、おばあさんが縁側に出ていますよ。これはめずらしい。なかなか会えないんです。10回に1回、会えるくらいなんですよ。車を出なくてもいいですが、どうですか、ちょっと会いに行きませんか」という。

では、ということで、木造の門をくぐって蓮やオレンジ色の名前の知らない花(凌霄花ノウゼンカズラか)が咲く庭に入ると、すぐ奥の家の縁側に涼しそうな服を着たおばあさんがいて、思わず会釈をしてしまった。おばあさんの家は、隣の親戚の家とともにこのあたりの名家であり、長者の家であったそうで、そこでおばあさんは酒作りをしていたのだそうだ。92歳だと言うのに、まだまだカクシャクとしていて、にこにこ笑っている。そしておばあさんはその世代の厳粛にも当然のこととして日本語が出来るのだ。「私はまだまだ18歳だよ」などと何のこだわりもなく笑っている。ぼくらは確かに楽園でおばあさんに会っていたのだ。

ふと左手を見ると、柘榴の実が成っていた。

柘榴は、Punica granatumと言って、ぼくにとってはスペインのグラナダのことを思い出す。暑くてほこりっぽい7月のグラナダの道。あそこにもアルハンブラ宮殿が洗練さのままにあった。そして谷をまたいだ反対側にはロマのすみかと言われる横穴の住居がいくつも見えていた...円熟の美、子孫の守護というのが花言葉だが、グラナダも新羅も滅びはしたが、柘榴は権力や暴力以外のやり方で見えない心のあり方を守ってくれているのかもしれない。

夕暮れが終わった。ガイドの金さんはおもてなしの目標をすべて達成して、よれよれのぼくらを乗せ、上機嫌で釜山へとマイクロバスを走らせたのだ。
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