フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

慶州(キョンジュ)行 その2:キドウとアイス

2008-07-19 00:25:44 | Busan finally
慶州は韓国・新羅の古都。古都と言っても京都ではなく奈良の、明日香村のあたりだろうか、のどかな山並みの中に遺跡が点在している。盆地のせいか、港町の釜山よりも暑い。

司馬遼太郎はその「街道を行く」シリーズで慶州を訪れている。70年代初頭のことだ。しかし、彼は仏国寺にも石窟庵の石仏にも触れずに、仏国寺の松林の中で農民達が歌垣のような歌を歌いながら踊る姿を熱心に描いて、日本ではとうに忘れてしまった民俗が新羅の古都に残っていることに感心している。しかし、宮本常一の著作を紐解けば、つい60, 70年前の戦前の日本の農村にはまだ同様のものが残っていたことがわかるから、司馬のように日本では8世紀以降忘れられてしまったとは言えない。

森林浴の山道を歩いて、石窟庵。石仏は東の海に顔を向けて日本から新羅を守るために鎮座している。石仏については何も分からないけど、横に座っていた庵のおばあさんが「キドウxxxx」と見に来た人々に話しかけていた。看板を見ると漢字で「祈祷」とある。「祈祷」とはお祈りのことで、1年間分ならその間、お祈りの札を保管してくれるらしい。漢字をベースにした言葉はけっこう日本語とも共通なのだ。

仏国寺へ。午後1時を過ぎて暑さも最高潮。ターコイズと朱を基調にしたお寺の美しさ。もともとの寺は秀吉が燃やしてしまったもの。あの時代、比叡山も燃やされている。彼らは仏教寺院は宗教建築というより、敵の本陣としか見ていなかった。韓国では日本人が悪いことをした事跡が少なくないが、どの時代の日本人かをいちいち確かめておかなければならない。

観音像を祭るお堂でおいしそうにアイスクリームを食べるお寺のおばさん。とても涼しそうな顔をして、何と2本も食べてしまった。写真を取ってもいいかと聞くと、アンドゥエヨと断られてしまった。仏像を写してはいけないから、だって。そして相変わらず悠々とアイスを食べている。

慶州行きは続く。

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