二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

ワカラン!

2024年01月10日 20時49分26秒 | ニ言瓦版
分からん。

「羽田空港で起きた航空機どうしの衝突炎上事故を受け、国土交通省がとりまとめた緊急の安全対策の内容が明らかになりました。

事故の前に管制官が伝えた出発の順番を意味する「ナンバーワン」ということばを、海上保安庁の航空機が離陸許可だと取り違えた可能性もあることから、対策では当面、事前に出発順は伝えずに離陸許可を出すとしています。
今月2日、日本航空の旅客機が羽田空港に着陸した直後に滑走路上にいた海上保安庁の航空機と衝突して炎上した事故では、海上保安庁機が誤って滑走路に進入し、管制官や日本航空機はこれに気がついていなかったとみられています。

事故を受け、国土交通省がとりまとめた緊急の安全対策の内容が明らかになりました。

それによりますと、事故の前に管制官が伝えた出発の順番を意味する「ナンバーワン」ということばを、海上保安庁機が離陸許可だと取り違えた可能性もあることから、対策では当面、事前に出発順は伝えずに離陸許可を出すとしています。

出発順を伝えることばは全国の空港で広く使われていますが、管制官の指示としてではなく、円滑な運航に役立つ情報として使われています。

伝達の取りやめは、羽田を含め各地の空港で実施されるということです。

また、対策では、航空会社などに対し離着陸時の操縦席からの監視徹底を指示し、滑走路への進入に関する管制のことばをパイロットに改めて周知するほか、羽田、成田、大阪、関西などの空港で滑走路に入る手前の停止線を目立つ色に変えるなどとしています。

今回の事故をめぐっては、国土交通省はこれまでにも緊急の対策として滑走路への誤進入を防ぐため、羽田の管制業務で機体の位置を確認できるモニターを常時監視する担当を新たに設けています。
海上保安庁 安全のための会議開催や運航マニュアル点検を指示
海上保安庁は緊急の安全対策として、全国の航空基地などに対し、安全のための会議の開催や運航マニュアルの点検をするよう指示しました。

会議では、運航の前後に手順や役割分担などについて乗組員どうしで話し合って意思疎通を図ること、運航中にそれぞれが気付いたことを積極的に伝え合う、クルー・リソース・マネジメントの実践に努めることなどを改めて確認するよう求めています。」


わからん?
飛行機は?事故する会社は?
するな?、不思議?
倒産する会社と似ている!
不思議は?一つしかない滑走路か?
乗り降りのように滑走路、分けないのか?
時間帯でさ!
止まってるもぶつからない?
高速道路で逆走は、じこ?
降りる?上がるは?事故になる?

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消える、現れる

2024年01月10日 15時19分42秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。


「希望は、消えたかと思うとまた現れ、
現れるとまた消えてしまいます。 」



高村薫(作家)



勝手な解釈
現れて、消える。
いや、苦悩から、快楽、また、苦悩。

希望があれば、行動も、伴い。
希望の先は、失態か、反省か。

戦争の地域で暮らす、火山の地域で暮らすも、
活断層の近くで、暮らすも、無知蒙昧だと、
それは、死ぬ。
崖の近く、海の近くで、暮らすも、
知らないは、豪雨と、津波で、それは、災害が失望か。

あんなに、各断層と、地震がある地域で、何しない、政治、行政は。

〜〜〜〜
名言、珍言。


「結婚するとき、
私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。」



アーサー・ゴッドフリー


勝手な解釈
後悔?
後から祟りのように来る?
人は?どこに?するも地獄?
居るも地獄?
元旦であの世ある?


この言葉は、最初は、美人、美男子、生活したら、
狂暴に、寅だったがある。

職、学校、結婚、離婚。
あるのは、知らないでいると、ある。
ーーーーーーー
石川県の活断層



小学校、中学で、地理、地学、軽視していると、活断層、怖い事。

陸地が怖いな、海で、酷いのだ。活断層。

石川県は、対策してないで、遊んでいた、県、何が、朝市だ、観光だ。
まだ、続く、数年後もあるだろう。巣だ。活断層の。


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調べると年号、元号

2024年01月10日 13時58分32秒 | ニ言瓦版
日本の歴史は、元号、年号か。いや地震の歴史。



「15世紀
  • 1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震 - M7 - 8。京都で地震。熊野本宮の温泉湧出が、80日間止まる※など紀伊・伊勢の記録は疑わしい[51]。
  • 1433年10月28日(11月6日)(永享5年9月16日) 永享相模の地震 - M7以上、死者多数。津波により利根川が逆流[注 9]。
  • 1449年5月4日(5月13日)(文安6年4月12日) 山城・大和地震 - M5+3⁄4 - 6.5、死者多数。
  • 1454年
    • 12月12日(12月21日)(享徳3年11月23日夜半)享徳地震 - Mw>8.4[73] 会津など?で強震、奥州海岸に大津波で人が多く流される(『王代記』)。15世紀ごろと見られる津波堆積物との関連性が指摘されている[74]。「理科年表」には2023年版から記載。
    • 12月29日(1455年1月7日)(享徳3年12月10日) - 鎌倉で余震とみられる大地震(『鎌倉大日記』)。
  • 1474年終盤 - 1475年初頭(文明6年冬)京都で大地震[75]。
  • 1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿に津波が入り堂舎屋が破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[76])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、従前の「理科年表」には記載がなかったが、2023年版から記載。地層[注 10]や史料[77]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が示唆されている[78][79][80][注 11]。
  • 1498年
    • 6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M7 - 7.5、九州で屋舎倒れ山崩れの記録(『九州軍記』)。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[81]が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震であるという解釈も可能[82]。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[83]。
    • 9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M8.2 - 8.4、『林叟院創記』に溺死者2.6万人とあり、『内宮子良館記』には5千人余流死、伊勢、志摩では1万人溺死とある。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される記録※は明応4年。地質調査によればほぼ同時期に南海道沖が震源域となった可能性もあるが疑問。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[84]。
16世紀
  • 1502年1月18日(1月28日)(文亀元年12月10日) 越後地震 - M6.5 - 7.0、死者多数。
  • 1510年9月11日(9月21日)(永正7年8月8日) 摂津・河内地震 - M6.5 - 7.0、死者あり。余震が2か月あまり続く。
  • 1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M7.0 - 7+3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院が破壊、津波あり。
  • 1585年7月31日(天正13年7月5日) - M7程度以上、大阪・京都・伊勢・三河で大震(『家忠日記』など)阿寺断層の活動も候補になる[85]。
  • 1586年
    • 1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
    • 1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層(岐阜県)が活動したとする説もあるが[86]、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85]。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12]。
  • 1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
  • 1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
    • 9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
    • 9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
    • 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。」



織田信長の時代、天正は、地震が多い。





「17世紀
「大日本国地震之図」(1624年)
  • 17世紀前半……津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM8.6クラスの地震が発生したと推定されている(17世紀型の地震)。1611年または1635年説あり[87]。
  • 1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M7.9 - 8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。宍喰で死者1500人余或は3800人余※などの記録もあるが人口から死者は過大とされる[88]。津波以外の被害は確かなものが確認されていない。
  • 1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震。 - 男女50人死亡 ※[89][注 13]。
  • 1611年
    • 9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M6.9、死者3,700人。
    • 12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M8.1(Mw>8.5)。三陸沖(日本海溝付近)の地震と考えられてきたが、十勝・根室沖(千島海溝)のM9クラスとする説もある。一方、東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる[55][90]。伊達領で大津波による死者約2,000 - 5,000人。
  • 1614年11月26日(慶長19年10月25日) 広い範囲で地震 - M7.7。畿内以外の記事は後世の信憑性の劣る史料であり、死者が出た京都付近の局所的な地震ともされる[91][92]。南海トラフの巨大地震とする説あり[93]。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もある※が疑わしい[94]、京都で寺社・民家が多数壊れ[注 14]同日に、伊豆と小田原と広い範囲で有感。津波が発生し千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある[注 15]。池上本門寺五重塔が傾く[注 16]。
  • 1615年6月26日(慶長20年6月1日) 慶長江戸地震 - M6+1⁄4 - 3⁄4、小田原、江戸で被害。
  • 1616年9月9日(元和2年7月28日) 宮城県沖地震 - M7.0、仙台城が破損。三陸地方で大津波 ※。
  • 1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
  • 1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本地震 - M4 - 6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
  • 1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 - M6.0±1⁄2 ※、存在がほぼ否定される幽霊地震。家屋倒壊、死者ありと言うも、宝永地震を転記した際に生じた誤り[95]との説がある。
  • 1628年8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた - M6.0。
  • 1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M7.1あるいはM7.0±1⁄4、小田原で大きな被害を出し死者110 - 150人。駿河・熱海に津波。
  • 1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M6.0前後、大きな被害。
    • 同日に 蝦夷で強震(『福山秘府』)。上記17世紀前半の津波堆積物を1611年とする説がある一方で、1635年とする説もある[87][96]。
  • 1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M6+1⁄4 - 3⁄4、死者多数[注 17]。
  • 1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - M6.5±1⁄4、象潟で津波死者117名。本荘城廊が大破。
  • 1646年6月9日(正保3年4月26日)M7.6、仙台城の石壁100m以上崩れ、3階の陣櫓3基が倒れ。白石城の石壁・櫓が破損[97]
  • 1647年6月16日(正保4年5月14日) 丹沢で地震 - M6.5±1⁄4、江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城に大きな被害。
  • 1648年6月13日(慶安元年4月22日)相模・江戸で地震 - M7.0程度。小田原城破損、箱根で落石、死者1名。ただし、江戸での被害疑問とする見解もある[98]。
  • 1649年
    • 3月17日(慶安2年2月5日) 安芸・伊予で地震 - M7.0±1⁄4。松山城、宇和島城の石垣や塀が崩れる。
    • 7月30日(慶安2年6月21日) 慶安武蔵地震 - M7.1あるいはM7.0±1⁄4、武蔵・下野で地震。死者多数。
    • 9月1日(慶安2年7月25日) 武蔵で地震 - M6.4程度。川崎宿で大きな被害。
  • 1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 - 千葉県で津波の記録あり。
  • 1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M6+3⁄4 - 7.0、死者あり。
  • 1662年
    • 6月16日(寛文2年5月1日)
      • 10時ごろ 寛文近江・若狭地震(寛文地震) - 小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。三方断層の活動と考えられる。熊川宿の被害も大きく、熊川断層も活動した可能性が高い[99]。
      • 12時ごろ 畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震 - M7+1⁄4 - 7.6、上の地震に引き続いて花折断層が活動したと考えられる[99]。死者は倉川榎村で300余、京都で200余など。京都の大仏殿が小破。
    • 10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震(日向・大隅地震) - M7+1⁄2 - 7+3⁄4又はM7.2 - 7.5[100]、死者あり。
  • 1664年(尚質王17年) 琉球鳥島で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[101]。
  • 1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M6+3⁄4前後、死者1,400 - 1,500人。
  • 1670年6月22日(寛文10年5月5日) 西蒲原地震 - M6+3⁄4前後、死者13人、江戸でも有感。
  • 1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[102]。
  • 1676年7月12日(延宝4年6月2日) 延宝石見地震 - M6.5前後、津和野城の石垣が崩れ、領内で潰家133、死者7人。
  • 1677年
    • 4月13日(延宝5年3月12日) 延宝八戸沖地震 - 陸奥、陸中、八戸沖(青森県東方沖)で地震 - M7+1⁄4 - 8.0、津波あり、三陸沖北部の固有地震[103]。
    • 11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震(延宝地震) - M8.0前後(Mw8.5)、死者500 - 600人。福島県 - 千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害[104])。
  • 1678年10月2日(延宝6年8月17日) 宮城県北部沖で地震 - M7.5前後、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
  • 1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日) 日光地震 - 栃木県北部、日光付近で群発地震。規模の大きなものは、6月17日にM6.0 - 6.5、6月18日にM6.5 - 7.0、10月20日にM7.0±1⁄4の地震が発生。10月20日の地震では、五十里村で生じた山崩れが河川を塞いだために湖が生じた(五十里湖)。この堰止湖は40年後の1723年の台風によって決壊し、鬼怒川下流において死者約1,200人の被害をもたらした(五十里洪水)[105]。震源断層は関谷断層である可能性が指摘されている[106]。
  • 1686年
    • 1月4日(貞享2年12月10日) 安芸・伊予で地震 - M7.0 - 7.4、広島県中西部を中心に被害、死者あり。
    • 10月3日(貞享3年8月16日) 遠江・三河地震 - M7.0±1⁄4又はM6.6 - 6.7[107]、死者あり。
  • 1694年6月19日(元禄7年5月27日) 能代地震 - M7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
  • 1696年11月25日(元禄9年11月1日) - M6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[108]。地震記事は未確認[89]。
  • 1700年4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M7.3、石垣・家屋が倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[109]。
18世紀
  • 1703年12月31日(元禄16年11月23日)
    • 元禄地震(元禄関東地震) - M8.1 - 8.2(Mw8.1 - 8.5[110])、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28,000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
    • 豊後で地震 - M6.5±1⁄4、元禄地震の約2時間後に発生[111]。府内領で潰家273軒、死者1人、由布院でも潰家。
  • 1704年5月27日(宝永元年4月24日) 羽後・陸奥で地震 - M7.0±1⁄4、野代(現能代市周辺)の被害大。死者58人。十二湖を生じた。
  • 1705年5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城の石垣が破損。
  • 1707年
    • 10月28日(宝永4年10月4日)13 - 14時ごろ 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) - M8.4 - 8.6(Mw8.7[112]〜9.3[113][114])、死者4,900 - 2万人以上、倒潰・流出家屋6万 - 8万軒とされるが被害の全体像は不明。関東から九州までの太平洋岸、瀬戸内海、大坂に津波、東海道宿場町で家屋倒壊・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐沿岸各地が津波で亡所となるなど大きな被害(『楽只堂年録』、『谷陵記』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
    • 10月29日(宝永4年10月5日) 宝永富士宮地震 - 富士宮で地震、M6.7 - 7.0[115]、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[116]。
    • 11月21日(宝永4年10月28日) 周防・長門で地震 - M5.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。
  • 1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M7クラス[117]、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。
  • 1710年10月3日(宝永7年閏8月11日) 因伯美地震 - M6.5程度、山崩れなど。死者多数。
  • 1711年3月19日(宝永8年2月1日) 伯耆・美作で地震 - M6+1⁄4、大山で山崩れ、伯耆・美作で潰家、死者4人。鳥取地震の起り方に似る[118]。
  • 1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃北西部で地震、M6+1⁄4、山崩れなど。死者56人。
  • 1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M6.5 - 7.0。
  • 1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
  • 1718年8月22日(享保3年7月26日) 遠山地震 - M7.0、三河、伊那遠山谷で地震。遠山川の河道閉塞が後日決壊し、死者50人[119]。
  • 1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
  • 1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
  • 1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
  • 1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
  • 1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。
  • 1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
  • 1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
  • 1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
  • 1763年
    • 1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
    • 3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
    • 3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
  • 1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
  • 1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7+3⁄4±1⁄4、M7.2[100]又はM7.4[107]、大分城で被害多く、熊本領内でも被害あり。津波あり。
  • 1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M7.4 - 8.0(Mt8.5, Mw8.7[120])、死者約12,000人。津波の最大遡上高85m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
  • 1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性あり。
  • 1780年7月30日(安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
  • 1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
  • 1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[121]。
  • 1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
  • 1791年7月23日(寛政3年6月23日) 信濃松本で地震 - M6+3⁄4程度、松本城櫓・石垣、民家400余崩れ。松本で震度6と推定される[122]。
  • 1792年
    • 5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
    • 6月13日(寛政4年4月24日)後志地震 - 北海道後志神威岬沖合で地震。M≒7.1又はM7.3[123]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[124]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
  • 1793年
    • 2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
    • 2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
  • 1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[123]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。」




元禄の地震が多い。
令和、多いだろう、正月は。



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時代は、かわる。

2024年01月10日 13時48分55秒 | ニ言瓦版

東京新聞のコラムは、分からん。
明治など、元号の話であるといい。令和は、酷い年号だ。正月に地震も。








「 明治時代のベストセラー、スマイルズの『西国立志編』の中にこんな小咄(こばなし)が出てくる。よく教育された子どもにある人が尋ねる。「さっき、誰も見ていなかったのに、どうして梨をポケットに隠さなかったのかい?」
▼子どもはこう答える。「いいえ、誰も見ていなかったわけではないのです。私自身が見ていました。私は自分が不正を行うところを見たくなかったのです

▼「見たくなかったのです」とこの議員は思わなかったか。自民党安倍派の政治資金パーティーを巡る政治資金規正法違反事件で東京地検特捜部は池田佳隆衆院議員(比例東海)とその政策秘書を同法違反(虚偽記載)の容疑で逮捕した
▼派閥から多額のキックバックを受けながら政治資金収支報告書に記載しなければ法に触れることは政治家なら常識だろう。「大丈夫なのか」という後ろめたさはあったはずで、自分の不埒(ふらち)を認識しながらも梨をポケットに入れてしまったと言わざるを得まい
▼あの子どものように、「私自身が見ている」と不正を退けられなかったのは派閥の習慣として裏金づくりが当たり前になっていた部分もあるのだろう。このあたりをたださなければ、党の刷新なぞあり得ない
▼<ウス壁にづんづと寒が入りにけり>一茶。同様の虚偽記載はこの議員に限らぬ。「寒の入り」どころか支持の壁が薄くなった自民党を猛吹雪が襲っている。」




時代は、日々、変わる。
分からん。

悪政、元号だ。令和は、五年は、また、ありそう。

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わからん、何か、予備費か。

2024年01月10日 02時21分58秒 | ニ言瓦版
わからん、借金の国、円の体たらく、よく、あるな。
何が、予備費だ。去年の使われない、予算、補正予算、その前の使われない、予算、あるだろう。



円は、酷いのに。
庶民は、地震より、日々、赤字だろう。
泥棒のはびころ、地域は、支援して、また盗まれる。






「政府、与党が能登半島地震からの復旧・復興を進めるため、昨年12月に閣議決定した2024年度当初予算案の一般予備費を5千億円から1兆円に倍増する方向で調整していることが9日分かった。16日にも閣議決定する。」



いや、泥棒は、内閣かもしれない。
あの外務大臣、遊びかな。戻れ、そして、地震の金、回せ。

ーーーーー

「【ヘルシンキ共同】上川陽子外相は9日(日本時間同)、フィンランドの首都ヘルシンキでバルトネン外相と会談した。欧州・大西洋とインド太平洋の安全保障は不可分だとして、防衛装備品を含む安保・防衛分野の協力推進を盛り込んだ包括的な指針「北欧外交イニシアティブ」を共有した。日本の外相のフィンランド訪問は1985年の安倍晋太郎氏以来。
 会談後の共同記者発表で上川氏は「法の支配に基づく国際秩序の維持・強化のため緊密に連携することで一致した」と強調。バルトネン氏は北欧外交イニシアティブを歓迎した。両外相はウクライナや中東情勢、ロシアと北朝鮮の動向についても協議した。
 ロシアによるウクライナ侵攻を受け、フィンランドは昨年4月に北大西洋条約機構(NATO)に加盟。スウェーデンも加盟申請し、北欧の安保環境は転換期を迎えている。上川氏は10日、スウェーデンを訪れビルストロム外相と会談する。
 指針はフィンランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、アイスランドの北欧5カ国が対象。」



寄付、貰ったのかな。  ないか。
地震の酷さは、世界で知っている。
北朝鮮で、知られている。



帰らないで、遊びの外交か。
支援は、貰うことが、先、地震のあの地域は、昔の昭和、江戸時代に姿。


あの地域。地震の地域は、泥棒のはびこる、地域か。

泥棒ばかり、いるのか。

公営の巨大マンションでもあれば、死なない。

フィンランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド
生活は、酷い地震の地域より、いいのだろう。

避難場所、そこで、生活できる、場。
生活保護、ある。
円は、
アメリカ ドル / 日本 円
144.4
ユーロ
欧州 ユーロ / 日本 円
157.8



税金は、高いが、生活できる。
国の金で、職のできる。



だから、難民は、行く。ロシアの難民も。

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