小説です

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村 (第1章 16)

2013年05月11日 | 小説

  一夜明けて、後で多くの人が語ったことだが、この養老院の火事の原因は放火ではないかと言う事だった。これは火元が火の気のないところであると思われたこともあったかもしれない。しかし、消防署と警察による現場検証の結果、これはあっけなく、否定された。それはこうだった。当初、皆が火事に皆が気づく前に、ドカーンという、爆発音があったことは養老院の老人たちを始め、村の大部分の人たちも実際、耳にしていた。それは、老朽化した、ガス配管のジョイント部分から、ガス漏れして、そのガスがボイラーの火に引火して、爆発したことが、現場検証の検分で実証された。
  皆はその現実を知ると、なぜか誰もがその現実に目をつぶり、放火されたという、言わば嘘の真実が巷間に流布した。しかも、放火犯の名前も挙げられていて、それはなんと、あの、浮浪者の金村勘吉が放火犯に違いないと言う、かなりの確信を持って、人々の間では語りつがれたのである。これは実際の所、噂の発信地は八雲の可能性が高かった。八雲はことあるごとに、村のあちこちで、勘吉が放火したらしいと人々にほのめかしていた。村人たちは警察と消防の正式な発表があったにもかかわらず、この嘘の情報をいつの間にか信じるようになった。そして、いつの間にか村の主だった人たちもさも事実であるかのようにこのことを語り始めた。
 しかし、勘吉本人はどうかと言うと、相変わらず、農家の軒先で野宿をし、残飯をあさっては、悠々自適の生活を送っていた。本人はその自分がこの前の養老院の火事の放火犯にでっちあげらていることは一切知らなかった。
  ある時など、彼が通りかかった村の集会所の前で、勘吉の放火の事を噂していた数人の村人たちが、勘吉本人がたまたま、その前を通りかかると、申し合わせたように話をぴたっとやめ、気味悪そうに横目で勘吉を眺めるのだった。勘吉はそのような事など、まるで気づかずに、ひとり言をぶつぶつ言いながら、彼らの前を通り過ぎていった。その途端、その村人たちは再びまた、ひそひそ声で、話を始めるのだった。
  また、これとは別に、駐在所の森本は本署と連絡して、勘吉逮捕の手続きを着々と進めていた。もっともこれは、もちろん養老院の放火に対してではなく、畑の作物を所有者に断らずに、拝借し、食すると言う、窃盗の罪に対してだった。
  しかし、これには裏がありそうだった。と言うのも、勘吉が畑の作物をたまに、ほんの少し盗んでも、これをそれほど目くじら立てて、とがめる村人はほとんどいなかったからである。むしろ、彼の愛嬌のある性格に魅されて、食べ物を与える村人も少なくなかった。
  しかし、盗難届けは出ていたようである。それはなんと古敷のよしこが出したものだった。彼女自身がが仮に法律に違反した場合、責任能力があるかどうかは別として、この届けは森本を通じて受理された。
  それはあの養老院の火事のあった日から、三日目のよく晴れた日の午前のことだった。隣のN町の本署から警察のグレーの大きなワゴン車のとともにパトカーが一台、村にやってきた。そのパトカーは村に入ると、サイレンを鳴らし、その音によって、犯人が逃走することを微塵も考えていないかのようだった。そして、丈の高い草に覆われた村のある廃屋の前で停まり、サイレンも止んだ。そこには、駐在の森本が既に自転車でかけつけていて、トランシーバーで本署のパトカーと連絡を取り合っていた。森本の報告によると、どうやら、勘吉は最近、この廃屋の中で寝起きしているらしく、今もこの中にいるらしかった。ワゴン車を降りた濃紺の服を着た、七人の警察官は、お互いに目配せすると、三人が裏口にまわり、リーダーを先頭に四人が正面の入口からなだれ込んだ。さほど重大な罪ではなく、浮浪者の勘吉一人を逮捕するにしては少し大がかりのような感じだったが、もしかしたら、警察は、今だ村人たちが知り得ない勘吉の過去の犯罪歴や習性を熟知し、最善の布陣で逮捕に着手したのかもしれなかった。パトカーでは二人の警察官が車を降りず、勘吉の万一の逃走に備えて、森本も自転車にまたがって廃屋の前で待機していた。やがて、廃屋の内部でがたがたと物音し、誰かのけたたましい叫び声が聞えて、その後、いっとき、静かになったと思ったら、正面から突入した四人の警察官の内の二人がそれぞれ、勘吉を左右から抱きかかえるようにして、家の中から出てきた。勘吉はつかまるとき抵抗したらしく、顔を赤く腫らしていて、口びるがゆがみ、血が少し出ていた。
  やがて、警察官たちは勘吉をワゴン車に押し込むと、走り始め、パトカーもサイレンを鳴らして、それに続いた。