来栖は保村と畠山を見送ると、職員室に戻った。
玲玲は自分の仕事に没頭しているようで、来栖が戻って来ても、さしたる反応を示さなかったが、突然思いついたように、立上り、来栖の母が持って来た来栖の故郷の茶菓子を開けて、来栖にも勧めた。
「……警察はぼくのDNA鑑定のサンプルを取りにきたみたいです……」来栖は無口の人が身近の人に最低限の情報をもらすようにぽつりと言った。
「えっつ、DNA?」玲玲はことさら驚いてみせた。
「大木村長にもあとで報告しようかと思います」来栖はそう言うと、自分の席について、自分の学習資料作成の仕事を再開した。
まだ日が暮れる前、玲玲は自分の仕事を一段落させると、さっさと分校を離れ、帰宅して行った。来栖も早めに切り上げようと立上ったが、電話が鳴ったので、受話器をとると、それはY村分校の校長を兼ねるN町の本校の校長からだった。警察の保村と畠山が来栖の聞き取り調査に行く前、先ずこの校長にコンタクトを取った関係から、来栖が今日午後、警察の彼らの訪問を受けたことを校長は知っていた。来栖は簡単に、自分がY村に来たのは最近で、古敷田よしこの事件とは無関係と警察も思っているが、よしこが主張していることを否定する意味で、来栖のDNAのサンプルを警察に提供したことなどを校長に報告した。校長はこれについて、あまり関心がないのか、特にコメントはなかったが、別の話で、これから病院で診断書が出るはずの友紀の病気の長期療養休暇を認めることにならざるを得ないが、そうした場合、人員の補充はないので、しばらく人手が足りなく不自由をかけることとなるがよろしく頼むと来栖に念を押した。
来栖は受話器を置くと帰宅の準備を始め、戸締りのために歩き出したが、ふと窓の外を見ると、今日午前中、強く降りしきる雨の中、盛山の方に上って行ったと思われる数台の黒い車が盛山の方角から次々と下って来て、やや早い速度で、分校の前を通り過ぎて行った。
あまりはっきりとは見えなかったが、その中の一台の車上に、来栖の見知っている誰かが乗っているのが感覚的に感じられた。それは一人の男性だったが、誰なのかはわからなかった。その感覚はずうっと来栖に残ったが、誰なのかはもう少しで頭に出てきそうで、出てこない、まだるっこしい、奥歯に物がはさまって、どうしても取れない状態のような不快感が残り、いっとき悩ましかったが、来栖は思い出すことをとうとうあきらめ、戸締りを終えると、干して水気のなくなった雨合羽と傘を持って、分校を後にした。
ぶな屋敷の階段を上り、二階の自分の部屋に戻ると、母が村のスーパーで食材を仕入れてきたらしく、小さな台所から湯気があがり、食欲をそそるようなよい匂いの料理を作っているところだった。来栖の顔を見ると、母は警察に何を聞かれたかを聞きたがったが、来栖は簡単に、自分がこの村に来たのはいつなのか、この村に来てからのよしことの接点を話しただけでDNAの検体サンプル提供のことまでは言わなかった。来栖としてはあまり科学的思考が得意ではない自分の母を当時はまだあまり聞き慣れないDNAと言う言葉で惑わし、余計な心配をかけたくなかったからだった。母は女性の直感で、来栖の言葉の中に、自分に言い終えていない何かを感じとり、息子に他に聞かれたことはなかったのかと何度も問いかけたが、来栖がだんまりを決め込んだので、ついにあきらめて、夕食の準備を続けた。
来栖がテレビをつけると、画面には黄道の会の代表役員の八雲と比較的若い美貌の女性が再び現われた。その会見はすでに始まっていたようだったが、お昼の放送のときとはまた別の会見であるらしく、このとき始めて、来栖はこの八雲といっしょに登場している女性が、黄道の会弁護団に最近加わったばかりの、友納恵利奈と言う名前の弁護士で、しかも黄道の会の会員であるということを知った。
「……今や全ての嫌疑に欧開明先生の関与は否定されたわけですので、黄道の会としては、今後、欧開明先生の早期の釈放を強く要求していきたいと思います」八雲は記者の問いかけに答える形でそう言うと、「次の質問はありませんか?」と会見を早く終らせたいかのような性急な態度が見られた。
いっとき記者たちから質問の手が上がらなかったが、友納弁護士が状況を見定めると、一呼吸おいてから発言を始めた。
「……この場を借りて、皆さんに公にしたいことがあります。今さきほど、黄道の会のフランクフルト支部の方から、失踪したケラー教授の消息についての報告がありました……」
会見会場はいったん大きくざわめきだしたあと、友納弁護士の発言を聞こうと一斉に静まり返った。





