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村 (最終章 2)

2024年04月12日 | 小説

   来栖は「源体宇宙論」を根幹とする黄道の会の初等教育によって、世界の平和と人々の幸福の実現に向かって、最大限の努力をする人材の予備軍を育成することを使命としていたが、初等教育センターの所長の権限が、おうかがいをたてるべき上級者の転出や死去により、自分の手中に収まっていく感触を得つつあった。
 最近では、「教義・修行」にあっては欧開明、「方針・運営」においては鵬役員に直接指示を仰ぐことも多く、これらは細部にいたっては彼の裁量の占める範囲も多かった。それは彼の役職の変化に即しているものとも解釈ができた。二十年前最初の来栖の役職は所長不在の初等教育センター副所長代理だったが、その後、副所長、所長代理、所長と昇進して行くにあたって、彼の権限も増大していった。このやり方は日本や欧米とも違い、黄道の会独特のものなのか不明だったが、黄道の会内部では、若年で各組織の責任者に任命された者については、同様の事例が多々あるようであった。
 来栖の元には十二名の初等教育のエキスパートである教師が在籍し、この学校の使用言語は英語と中国語であった。英語は教室で授業に使われる日常言語だったが、黄道の会の教義に関する「至道(しどう)」の授業で使われる言語は中国語であり、それとは別に中国語そのものものを学ぶ中国語の授業が毎日あった。
 来栖は初等教育センター建設の時期に英語教育で有名なヨーロッパのマルタ共和国に派遣され、数ヶ月の英語の特訓を受けた後、イギリスの大学で一年の教育学修士の課程で学び、教育学修士の学位を得ていた。これらの留学費用は皆、黄道の会の負担であったが、そのとき、来栖は黄道の会から誓約書を渡され、サインをさせらていて、その学業を中途で挫折してやめる場合の金銭的な大きなペナルティーがあった。
 中国語に至っては、来栖は漢字を見て、意味を類推することができたが、発音はまるでだめだった。もちろん黄道の会の教義や教典については英語や日本語はもちろん、ほとんどが主要言語に翻訳されていて、黄道の会では来栖に中国語を学ぶことは要求していなかった。
 来栖はこの二十数年間、必要なとき以外、このY村から出たことはなかった。また、来栖の私生活については、この物語の前半に登場していた黄道の会の会員の女性と結婚していたが、これについては機を見て、追って話すことにするので、そのことはさておき、その日、来栖は八雲から一つの通知を受けた。
 欧開明と血縁関係にある一人の青年が初等教育センターの中国語及び「至道」の授業を担当するため、シンガポールからやって来るのだと言う。青年の名前はアレックス・ミチオ・フルヅカ(古塚道生)だった。
 来栖が彼の英文のプロフィールを見ると、驚いたことに出生地としてこのY村が挙げられ、しかも来栖がこのY村に分校の教諭として初めてやってきた同じ年199X年の2月3日生まれだった。 また、彼が欧開明の血縁者と言うのは、八雲から得た情報だったが、欧開明の母方の日本の古塚家の出であることは推測できたが、欧開明の甥なのか、はたまた、もっと遠い縁者なのか不明だった。
 来栖はこのアレックス・ミチオ・フルヅカを初等教育センターの教員に採用するにあたっては、一切関与させてもらえず、これは今までになかったことだった。中央集権的な黄道の会にあっても、来栖は採用の決定権者ではなかったにもかかわらず、教員の選考や面接の時は、英文の履歴書や職務経歴書を事前に渡され、面接にももちろん参加し、時には欧開明や鵬役員から意見を聞かれることもあるのが、今までの必須の手順だったからである。
 これはこの新任の教員が、欧開明の血縁者と言うことの特例である、と来栖は認識し、特段本部に問い合わせはしなかったが、たいへん異例なことには違いなかった。
 来栖は次の日曜に、H県の県庁所在地S市の空港に午後到着するアレックスを自分の運転するワンボックスカーで迎えに行くことを決め、そのことを八雲に告げると、これも異例なことだったが、八雲も来栖に同行するとのことだった。

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