小説です

読者の皆様を惹きつけるストーリー展開でありながら、高尚なテーマを持つ外国の小説みたいなものを目指しています。

村 (第1章 2)

2012年12月24日 | 小説

 その建物は小高くなった山の上で、周囲を切り通しのように切り開かれた広い空地にあり、土がむきだしになったがけのような壁にかこまれていた。壁の上には山林の草木が生い茂っていた。二階建てのその古い建物は向かって左側に木の階段があり、壁はしっくいのような薄茶色で、ひどく痛んでいた。ところどころ、壁が壊れて、ねずみがそこから出入りしているかのようだった。また、煙突が何本か突き出ていて、それは暖をとるためと言うよりはどうやら、煮炊きの換気のためらしかった。今、昼が近いせいもあって、白い煙が上がっているのもあった。
 村役場の軽ワゴンがその建物の前に止まり、来栖と八雲が下り立った。
「ここです」八雲が来栖に断言するように言った。
 来栖はその建物を見つめて、しばらく物を言わなかった。
 突然、けたたましい女の叫び声と二人の人間がどたどたと木の階段を下りて、外に飛び出てきた。
「あたしに隠れて、よくも……」女の甲高い声とともに男の許しを請う声がした。
「わかった、わかった、おれが悪かった。このとおりだ」男は女の前に膝まづいた。女は手に持っていたほうきで男をたたこうとした。「やめてくれ、やめてくれ....」男は懇願した。
 八雲が割って入った。「いったいどうしたんですか?」
 女はさも憤慨して言った。
「この人ったら、古敷(ふるしき)のよしこと……」
 八雲はちょっと仲裁を試みたが、すぐにあきらめ、争いの声を下に聞きながら、八雲と来栖はその建物のぎしぎし音がする木製の階段を上って行った。八雲は来栖を顧みて言った。
「古敷のよしこさんは、以前、町でOLをやっていたんですが、失恋がきっかけで、飛び降り自殺をやったけれど死にきれず、そのとき頭を打った関係でおかしくなったんですよ」
 どうやら、古敷のよしこは村の男と誰かまわず関係を持つらしかった。実際、古敷のよしこは男に好かれる容姿らしかった。彼女は外傷による外因性とショックによる心因性の精神障害があり、不思議なことに、時々、通常の人間の意識にもどったかのような、あまりにも現実的なことを言い出すので、周りの人々をびっくりさせるのだった。
 そして、二人はある一室のドアの前に立った。八雲はポケットから、カギを取り出すと、カギをかぎ穴に差し込んだ。ドアが開いた。そこには古くて所々傷みがあったが、きれいに掃き清められた部屋があった。八雲は来栖が荷物を運び入れるのを手伝った。荷物を運び入れると、八雲は言った。
「お昼になったら、また来ます」八雲はそう言って、立ち去った。
 八雲が出て行ったと思ったら、息をつく間もなく、誰かがドアをノックする音がした。
 来栖がドアを開けると、そこにはへらへらと笑っている赤ら顔の中年の男が立っていた。
「あははは、お若い方ですね。私は隣りの原良(はらよし)と言うものです。そう、緊張なさらずに。ここに来てしまったら、もう、みんな家族も同然、心を開いて、仲良くせずにはいられないのです。ところで、集会にはいついかれます?もしなんでしたら、お連れしてもよろしいですが……」原良はこう言うと、来栖の顔を覗き込んだ。この原良は、妙になれなれしい、へらへらした男だった。
「集会?」来栖は怪訝そうな表情を顔に浮かべて問い返した。
「そうです。あなたも会の方ですよね。ここはご存知のように会の皆さんの村なのです」原良はさもあたりまえかのように言った。
「会って、なんですか?ぼくは小学校の教師でこの村の小学校に赴任して来たんです!」
来栖は不安にかられて、思わず大きな声で叫んだ。
「えっ?あなたは会の方ではないんですか?ああ、そうか、そうか、それなら、診療所の若木先生と同じか……あの人も最初はあなたと同じだった(注:実際は若木は元からの会員)。うん。あなたも集会にぜひ、参加してみてください。必ず、いいことあると思いますよ。今までわからなかった、人生の理由がわかりますよ」原良は断言するようにこう言った。


村 (第1章 1)

2012年12月22日 | 小説
  白く重い霧が厚く垂れ込めていた。草木は霧に覆い尽くされ、山野は静まりかえっていた。ここはH県の人里離れた山奥だった。フォグランプが光り、霧の中から一台のタクシーが現れた。
  運転手は車を止めて、辺りを見回して言った。
「確かこの辺だったけど...あっ、あった!」来栖信一(くるす しんいち)が、運転手の指差すかなたを見ると、霧の中にうっすらとつり橋が見えた。それは深い底無しのような峡谷にかかった、たいへん長いつり橋で、人がやっと一人通れるだけの幅しかなかった。
 やがて、タクシーは微かなエンジン音を残しながら、来栖を置いて、遠ざかって行った。
 来栖は荷物の上に腰かけ、腕時計を見た。時計の針は午前9時55分を指していた。約束の時間まであと5分あった。この深い霧の中、人里離れた山奥の場所に一人取り残されたことに彼は少し不安を感じていた。
 あれは一ヶ月前のことだった。大学の教育学部を出て、産休教員をやっていた来栖の目に新聞のたいへん小さな募集広告が目に入った。「僻地山村 小学校教諭求む」普通、村などの地方自治体が直接広告を出して、教師を募集することはない。僻地山村とは言え、県の教育委員会から教師は派遣される。来栖はその時、しばらく教壇から遠ざかり、正規の教員になる見込みも無かったので、少し不思議に思いながらも、そこに書かれた、電話番号に電話してみた。電話に出た村役場の男の話になまりがあった。しかし、彼も知るH県のなまりと違い、なぜか西日本のなまりのように感じた。彼はその男に言われたとおり、履歴書を送り、まもなく手紙でH県の県庁所在地のS市で面接を行う通知があり、彼は面接会場で村長と称する顔の異様に大きい、小柄な男と面接を行った。その男が即ち、来栖が電話で話したなまりのある男だった。村長が言うには、なにぶん僻地なので、特別な許可を得て、独自に募集したとのこと。もし採用されたならば、何年か勤めたあと、H県の都市部に転勤できるようにしてくれるとのこと。その話を聞いたからではなかったが、来栖は思いがけなく、自分に僻地で働く意欲があるのを感じ、その教育の理想及び意欲を熱っぽく村長に語った。そして、思いがけなくも、多数応募者があったにもかかわらず、採用通知を来栖は受取ったのだった。
 突然、霧の中に浮かぶつり橋がカタカタと音がし、揺れ出したかと思うと、一人の男がつり橋を渡って、近づいてきた。やがて、その男は橋を渡り終えると、来栖の前に立った。
「来栖先生ですね?」意外にもまだ年若い二十代とも思われるその男は来栖に問いかけた。
来栖がうなずくと、彼はこう言った。
「村役場の八雲(やくも)です。先生をお迎えにあがりました。こちらへどうぞ」
 八雲と名乗った青年は、来栖の大きなスーツケースをつかむと、先頭にたって歩き出した。そして、重い荷物を持ちながら、つり橋に足を踏み入れた。つり橋はぎしぎしときしみ音を発し始めた。荷物をかかえ、つり橋に足を踏み入れるのをためらっていた来栖を青年は手招きして、つり橋を渡るようにうながした。来栖はおそるおそるつり橋に足を踏み入れた。つり橋は来栖とその荷物の重みでしなって、大きく揺れた。きしみ音が高まった。来栖の額に冷や汗が流れた。彼は下を見ずに足を運んで行った。彼はこの時間がたいへん長く感じられた。彼やっとの思いで向こう岸たどりついた。たどり着いたときには、彼はへたへたと座り込んでしまった。身体からは汗が吹き出ていた。八雲はもう、さっさとY村役場と書かれた白い軽ワゴン車に来栖のスーツケースを乗せ、来栖の手からもう一つの大きなバックパックを受取ると、それも車に乗せた。
「大丈夫ですか?」八雲は来栖を見やって言った。
「大丈夫」来栖はそう言って立ち上がると、軽ワゴン車の方に向かった。
 軽ワゴン車は走り出した。八雲は車を運転しながら、隣りの座席の来栖に向かって言った。
「T峠を通ってくると、山道をくねくね走って、四十分かかるんです。このつり橋をわたると、ここから村まで七分です。荷物は送りましたよね。」
「ええ」来栖はうなずいた。
 道路の両側は山林だった。来栖はところどころに土を盛った直径三メートルから四メートル位の小山ようなものがあるに気がついた。それは草の生えた古いものから、最近のものであるかのように、土の地肌を露出しているのもあった。
「あれは、なんですか?」来栖は土を盛ってうず高くなったところを指差して、言った。
「あっ、あれですか...」八雲は少しにやっとしてこう言った。「ここにこれから長くいれば今にわかりますよ」