明くる日の月曜日は、どんより曇った、今にも雨が降り出しそうな天気だった。職員室のテレビで朝のニュースを見た来栖は、東京のF本部の道場での禁止薬物使用の疑いは違法性が無いことが判明したこと、小野村正導師が事情聴取を受けた、一人の若い男性会員の失踪については、黄道の会との関連性を示す証拠がまったく無いことがわかり、検察当局は立件をあきらめ、「保釈」ではなく、「釈放」と言う形で、鵬役員と小野村正導師が近日中に解放されることを知った。これは昨夜のニュースの報道とほぼ近い内容だった。昨夜の夜遅くまでの若木との話もあり、来栖は特に黄道の会の東京F本部の鵬役員の動向にことさら注目するようになっていた。
職員室の扉が開いて、「おはようございます」と言う声と共に、李玲玲が姿を現わした。「来栖先生、八雲さんが村役場に出勤した時間に、お電話してあげてください」李玲玲はそう言うと、自分の朝の飲物をいれるため、給湯室に向った。
来栖は八雲に電話するのはたいへん気おくれがした。来栖にとって、八雲が自分に用事があるときは、どのみちよいことではないことを感じていたからだった。朝は、登校する児童の出迎えやホームルーム等があり、朝から午前にかけての小学校教諭の仕事は忙しく、それでも来栖が八雲に電話したのは午前の授業の合間の休み時間だった。
公にはできなかったが、事実上「政教一致」のY村にあって、大木村長の影響力は比較的大きく、その意向を受けてのY村役場の総務課の八雲からの指示は、今度の児童たちの遠足のコースをN町の本校の校長に交渉して、変えさせることだった。元々の本校の校長の意向に合う遠足コースの案は、H県の県庁所在地S市の城址公園に行き、見学や散策したあと、その後、Y村に戻る途中のN町の本校に立ち寄り、本校の児童たちとの交流をすることだった。実際、幾人かの児童はY村分校ができる前はN町の黄道の会の会員宅に寄宿し、N町の本校に通学していたので、久しぶりにN町の本校の友だちに会えることはたいへんな喜びであるはずだった。ところがそれに反して、Y村役場、事実上の黄道の会から出された指示は、Y村の山間部の崖にお宮のような建物がある、黄道の会では「老君洞」(中国にある道教の施設と同名)と呼んでいる道教寺院を見学、参拝して、黄道の会の「童子」としての研鑽を深めるというものだった。
来栖は自分が黄道の会の一員とは言え、この指示には違和感を感じざるを得なかった。なぜなら、もうすでに、遠足のコースを児童たちに説明し、最近お城が再建されたS市の城址公園に行くこと、それに加えて、帰り道に自分たちが最近まで所属したことがあるN町の本校の児童たちとの交流があることを聞いて、児童たちは歓喜したからだった。
来栖は八雲を通じて、大木村長から受けた指示として、その日じゅうにN町の本校の校長と交渉して、遠足のコースを変えさせ、その結果を報告せよ、とのことだった。
来栖はかなり迷ったが、とりあえずN町の本校の校長に電話して、通常電車でS市に行くのは不便なY村にあって、バスをチャーターする比較的大きな費用が発生し、一部の父母で反対する人がいるなどど、何か理由を考えて、遠足コースの変更の件を伝え、変更させるように試みて、もし、その了解が得られなかったら、八雲にその結果をありのままに言うしかないと感じた。しかし、万一本校の校長が遠足コースの変更に同意してしまった場合、N町本校の友だちに会えることを楽しみにしていた児童たちの期待を裏切ることとなり、来栖にとっては心の負担になることは間違いなかった。
来栖は昼休みも終わり、午後の授業が始まる時間になっても、複式学級を行っている教室にはすぐには行かず、N町の本校の校長に思いきって電話をした。
電話に出た校長は来栖の話を聞いても、少しも意外に感じなかったらしく、即座に回答した。しかも、それは、来栖の提案に賛同するものだった。Y村の「老君洞」に行くには、S市に行くときのようなバスのチャーター費用もかからず、その方角には、朝夕の一定の時間内に、合わせて一日数本の路線バスの運行があるので、その路線バスを利用して、来栖と玲玲はただ分校から児童たちを引率して行くだけでよかった。しかし、それは、児童たちがN町の本校へ行って、旧友と再会する夢を打ち砕くことであり、来栖にとっては、ある種の困難な状況に陥ることを意味した。





