その晩のテレビの各局のニュースは「嫌疑不十分」で黄道の会東京本部の鵬役員と小野村正導師がついに釈放されたことで持ちきりだった。来栖はテレビの画面で初めて鵬役員と小野村正導師の姿を目にした。鵬役員は背丈は中背で、年の頃は四十代後半で、眼鏡をかけ、大学の教授のような深い知性を人に感じさせるとともに、その独特の容貌は一度見たら、忘れられないような印象の深いものだった。それは実は激しく、厳しい目つきをにこやかな表情で覆い隠しているのではないかと感じさせる一種の矛盾を内包した顔だった。主席正導師の桐野富士夫に次ぐ、正導師序列第二位の小野村は小柄な、好々爺面をした六十歳前後の男だった。
校外学習のあった日の夕方、来栖は一人、Y村分校の職員室に戻り、N町の本校の校長に電話をかけ、さきほど無事にY村分校の校外学習が終了したことを報告したばかりだったが、次の瞬間、来栖はその職員室のテレビの画面に釘付けになった。
なんと、それは、来栖といっしょに日曜の午後、黄道の会に呼び出され、大講堂の「閻王」の間で、八雲の尋問を受けたY村郵便局長の前野川亘(まえのかわわたる)と林業を営む細村敏広の二人がH県警に任意同行を求められ、出頭したニュースが報じられたからだった。やはり、古敷田よしこに対する準強姦罪(当時の改正前の法令)の疑いからだった。
来栖はショックを受けて、しばらく呆然としたが、そのうち、自分が警察に嫌疑をかけられることなく、あの日呼ばれた内の他の二人が警察に身柄を拘束されたことについて、自分は安堵していいかどうかも含めて、自分自身の考えをまとめることができないことに気がついた。テレビのニュースが終わると、来栖はテレビを消し、立ち上がると、校外学習で携行した自分のバックパックを背負い、校舎の出入り口の鍵をしっかりとかけ、家路についた。
来栖は歩きながら、その日のできごとを反芻していた。もちろん、前野川と細村が警察に身柄を拘束されたことについてのショックが尾を引いていたのだが、まだ、さきほどと同じで、このことについて、どのように考えてよいのか、自分の頭の中でよく整理ができていなかった。それに加えて、鵬役員と小野村正導師の釈放の件もあるので、誰かと話したい強い欲求にかられていた。来栖は、自分とそのような話ができるのはこのY村には若木医師しかいないことを思い出し、校外学習で疲れた体にむち打って、その夜、彼を訪ねることを思いついた。また、その日の校外学習においては、実際、「老君洞」で費やした時間は予定していた時間より長くなってしまい、「粟川ダム」と修験道の神社の見学時間を少しはしょることになったのだが、一つ気がかりなことがあり、これについても、若木医師と話したかった。
若木は黄道の会の古くからの会員で、黄道の会の教義を心から信じ、欧開明に対する尊敬の念がたいへん深く、しかも、東京の大きな病院の勤務医の仕事を投げ打って、このY村に最初は家族全員でやって来たことからもわかるとおり、黄道の会のたいへん熱心な会員であると言えた。しかし、来栖が若木と話したくなるのは、若木が欧開明の意志と必ずしも百パーセント一致しているとは限らないと解釈する黄道の会の執行部を完全に信じていると言うわけではないことに気がついていたからだった。来栖は、その若木の視点から出てくる言葉を聞きたかったし、また、若木に自分の疑問や考えを話して、その回答や意見も聞きたかった。
来栖がぶな屋敷の二階の部屋に戻ると、母は不在だった。卓袱台の上に来栖のために夕食の支度がしてあり、「臨時集会に参加します」と言う母の字で書かれた置き手紙があった。来栖はY村に来てから、黄道の会にとって大きなできごとが起こるたびに「臨時集会」が開かれ、村のほぼ全員が大講堂の鳳凰の間に集まることが恒例となっていることに気がついていた。その日は鵬役員と小野村正導師の釈放、それに続いて、前野川と細村の警察による身柄確保と言う、大きなできごとがあったので、「臨時集会」が開かれることは大いに考えられることだった。
来栖は壁の時計を見た。夜の七時四十分で、「臨時集会」は、いつも、夜七時半から始まるので、まだ始まったばかりのはずだった。来栖は校外学習で一日歩き疲れ、たいへん空腹を感じていたので、先ず夕食を取り、そのあと、自分も大講堂に赴き、途中から「臨時集会」に参加することに決めた。
羽山の指示で、来栖と玲玲も協力して、窓のカーテンが閉められ、ビデオの映像がスクリーンに照らし出された。黄道の会の多くのビデオがそうであるように、首席正導師の桐野富士夫が解説者だった。桐野は常に大勢の人々の前で講話を行うためなのか、その話は、洗練されていてわかりやすく、低いトーンで静かだったが、何か人を惹きつけるものを感じさせる語り口だった。
中国の道教の「道(タオ)」を初めて説いた人として、紀元前の中国の春秋戦国時代の「老子」が画面に現れたとき、突然、一人の男の児童が「あっ」と小さな声を上げた。そして、それに続いて他の数人の児童たちもざわめいた。なんと、その画面上の「老子」は先ほど、「老君洞」の赤い壁の門のところで出会った白い髭のぼろぼろの着物のような服を着た大柄なあの老人だったからだった。違いがあるとすれば、ぼさばさだった髪型が、画面上の「老子」は日本の江戸時代の「総髪」(前頭部を剃らない武士の髪型)に似た形できちんとしていて、着物もきれいなものを着用していた。
来栖も驚き、そのビデオの中で、「老子」を演じている老人に見入った。その老人は現代中国普通話の発音(古代の音は現代と違う)で「無為自然(ウーウェイヅーラン)」と口を動かして発音し、そのとき字幕で「無為自然」が同時に現れ、次の瞬間、アニメーションの画面に変わった。
――初夏の季節に古代の中国の農民が大勢で汗を流しながら、小麦を収穫し、それを干し、道具を使って脱穀し、大袋に詰めて、倉に運ばれて行く様子が現れ、そして一部の農民たちがこっそりあたりを気にしながら山の洞窟の別のところに運ぶ姿も現れる。そのあと場面がかわり、草原と山々が交接する場所で、戦闘の場面が映しだされる。馬に乗った大勢の遊牧民たちの放つ矢の嵐のあとの猛烈な突撃に、「周」の旗の軍隊がちりじりになって敗走する姿と、戦いに勝った遊牧民の後ろで羊の群れがついていくのが映しだされる。そして、そのあと、馬に乗った大勢の遊牧民がさきほどの村に向かって押し寄せてくるのを農民の一人が遠くから事前に発見し、皆に告げると、農民たちは皆、山に逃げて息をひそめる。村に着いた遊牧民たちは、倉の中の多量の小麦の袋を見つけると、それらを引き連れてきた替え馬たちにくくりつけ、運んでいく。しばらく行くと、今度はその背後に、「周」の旗の軍隊がまた現れ、遊牧民たちに矢を浴びせかける。遊牧民たちは振り返って、反撃し、「周」の旗の軍隊はまた敗走する。ところが、今度は遊牧民たちが戦闘に夢中になっているとき、彼らの後ろについてきた羊たちが、いっせいに駆け出して逃げていく。遊牧民たちは戦いが終わって、我に返ると羊たちがいなくなっているのに気づいて、意気消沈する。そのあと、山から恐る恐る村に戻った農民たちは羊の群れが押し寄せて来て、たいへん驚くが、この思いがけない贈り物に歓喜する。ここでアニメーションは終わり、最後に現実の映像が現れ、山林の中の大自然の中で、再び「老子」が現れ、「無為自然(ウーウェイヅーラン)」を繰り返す……
来栖は日頃の複数の学年の学習資料の作成やテスト・宿題の採点のたいへんな仕事量で、疲労が蓄積していたせいか、いつしかビデオ鑑賞中に居眠りをしていた。そしてそのとき、まったく思いがけない、不思議な夢を見た。
――そこはこの「老君洞」の敷地内にあるのだと言う来栖の無意識の認識があり、その場所はバス停の待合室のような屋根のある木造の建物で、縁側のような板を並べた長い板の座席があった。人はいなかったが、そこには数人の人たちが座ることができるようであり、何のための建物なのか、来栖にはまるでわからなかった。そして、来栖がとうの昔に忘れていた、那美という名前の幼馴染の女の子がその当時の七、八歳の姿で現れ、来栖に言うのだった。「この下にはお水が湧き出る泉があるのに、その泉の上におうちを建てたの……なぜだか覚えている?」そう言われてみて、来栖は自分がその理由を確かに知っていたことを思い出したが、今はどうしてもそれが思い出せないのに気がついた。もう少しで思い出せそうで、思い出せないそのもどかしさが、不快な感覚となって、来栖をとらえたとき、近くの席にいた、あのN町の本校から転入してきた六年生の女の児童が居眠りをしていた来栖に呼びかけた。「……来栖先生……来栖先生……起きて!」他の男の児童からも「ああ、先生寝てらあ」という声が上がっていた。
来栖がやっと目をさますと、ビデオはすでに終わり、皆、これから次の活動に向かおうとするところだった。





