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小説です

読者の皆様を惹きつけるストーリー展開でありながら、高尚なテーマを持つ外国の小説みたいなものを目指しています。

村 (第4章 15)

2019年09月29日 | 小説

   若木は来栖の思った通りの信頼できる人物だった。来栖の心配事であった古敷田よしこに対する犯罪の加害者であることを来栖が疑われていることについて、若木はきっぱりと言った。
「……これはあきらかな陰謀に違いありません。欧開明先生の身辺には黄道の会の教義に反する行為を平気でする上層部の人がいます。その人の一派があなたを利用して、何か悪だくみを考えているのです……」
   来栖は思わず、その腹黒い上層部の代表は八雲ではないかと思い、口から出てしまった。「……八雲さんがまさか?」
「えっ?」若木は声を上げて、来栖の発した言葉に不満の気持ちをあらわして、なおも続けた。
「……黄道の会の一般の会員の皆には誤解があるのです。八雲くんは祭司や教務を司る指導職の桐野首席正導師を除いて、欧開明先生に次ぐ、NO.2(ナンバートゥー)の人であるかのように思われているかもしれませんが、彼はただある人物の指示を受けて動いている人間で、実は違うのです。確かに八雲くんは数年前から、表面上は、欧開明先生の特別な配慮で黄道の会の中で研鑽を積み、昇進を重ね、台頭してきたように見えますが、実は彼は欧開明先生ではなく、黄道の会で言うところの「第一層」の別のある人の影響下にあるのです。その人は黄道の会発足当時の発起人の一人で、欧開明先生からも一目を置かれている人物です」
「あっ、その人の名前を聞いたことがあります。警察の機動隊を大講堂の中に引き入れた人で、大講堂の地下で二回爆発があったあと、その爆発を起こした疑いをもたれて、警察に身柄を拘束された人です」来栖はあの日のことをよく覚えていたので、とっさに口に出た。
「ああ、それは指導二級の上岡と言う人ですが、その人ではありません。その人も八雲くんと同じように、その人物の指示を受けているのです……」
   来栖と若木は街灯のほとんどない暗い村の道を、若木の持つ大きめの懐中電灯で照らしながら、ようやく診療所の後ろの若木の住む住居の玄関にたどり着いた。
「……どうです?うちの中で、もっと話しますか?」若木の問いに来栖はうなずいた。
   若木の家は男の一人住まいとは思えないほど、きちんとかたづいていた。それは彼の几帳面で、自分を絶対に見失うことのない冷静沈着な性格を現わしているかのようだった。部屋の中には、黄道の会の赤い祭壇があり、その近くのサイドボードの上には一人娘と妻、そして彼本人の家族三人でうつした写真が置かれていた。
 若木は酒をほとんど飲まない人間のようだったが、来栖には夜なのでカフェィンは安眠を妨げると言って、自家製のケツメイシから作ったというハブ茶というお茶をすすめた。来栖はその微温のお茶を一口飲むと、ほのかな甘いような香りがして、気持が休まる感じがした。若木もハブ茶を飲みながらゆっくり語りだした。
「……まず、欧開明先生がどのような人なのか説明しましょう。実は欧開明先生の亡くなったお父さんは李鸞生(リー・ルアンション)という中国の古代思想の研究家で、中国の大学の教授でしたが、文化大革命のとき迫害に遭い、欧開明先生のお母さんの親類を頼って、日本に来ました。欧開明先生のお母さんは、日本占領下の時代に生まれた人としては比較的珍しかった日本人と中国人のハーフで、自分の日本人の父親が、戦後、中国から日本の自分の故郷のこのH県に引き揚げていたので、それを頼って、家族を連れて日本に来たのでした……」
   若木はなおも続けた。
「……中国古代思想の研究者だった父親の影響を受け、子供のころから道教や中国古代思想の教えにもとづく修行を続けていた李光逸(リーグアンイー)青年は日本の東京の大学に進学して学びながら、自分の思想や修行方法を広めるため、大学内のサークルとして、黄道の会の前身となる、黄道思想研究会を設立し、そのときの発起人の幾人かは今でも黄道の会の幹部として、指導的立場にあります……」

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村 (第4章 14)

2019年09月16日 | 小説

   兄が亡くなった夜の次の日、黄道の会の人たちが数人来ました。皆、若い人たちで、兄といっしょにY村で修行をしていた人たちでした。先ず、黄道の会から、欧開明先生の兄の死に対する深い悲しみと心からのお悔みの言葉を母とわたしに伝え、その上で、兄をY村に運び、黄道の会の教義に基づいて、お葬式を行いたいと言ってきました。最初、母もわたしも直接、欧開明先生に触れて、今まで抱いていたのとは別の印象を黄道の会に持ったこともあり、黄道の会の教えを心から信じていた兄の本望にもかなうと思いましたが、お昼ごろ病院に到着した父の考えで状況は一変しました。以前から、黄道の会に対して否定的な考えを持っていた父の意見に従い、費用がかかりましたが、兄を家まで運び、家の近くで、親戚や地元の兄の友人を呼んで、お葬式をやることになったのです。あとから聞いたお話では、黄道の会でも、欧開明先生が兄のためにたいへん荘厳なお葬式を行ってくれたそうです。
   来栖先生、手紙がだいぶ長くなりましたが、この手紙の最初の方にも書いた通り、わたしは兄のように、病気に負けて、『源体』の中に戻る気はまだありません。欧開明先生の励ましのお言葉もいただいているので、わたしは、これから何があっても負けないで頑張り続け、病気に打ち勝つことができたならば、また、Y村に戻って、児童たちといっしょに学んでいく生活を続けることを心から願っています。また、繰り返しになりますが、来栖先生も毎晩のお勤めのときにわたしの病気が治るよう祈ってください。そして、分校の皆にもよろしくお伝えください――わたしは頑張っていますと。
   来栖は友紀の手紙を読み終えて、封筒にしまうと、しばらく黙考した。明日、分校に行ったら、児童たちに三輪先生のこれからの苦しい闘病生活――例えば、抗がん剤の重い副作用などについて説明し、皆の寄せ書きであるとか、図工の作品であるとか、三輪先生を励ますものを児童たちに制作させることを考えた……
   来栖はふと気がつくと、来栖の母の姿が無いことに気がついた。突然、ドアをたたく音が聞え、三方の声が聞こえた。
「来栖先生のお母さんがうちに来られて、家内と話をしておりましたが、突然、具合が悪くなられて……」
   来栖は急いで、三方のアパートの一室に駆けつけると、母が寝かされているのを目にした。
「……信一、ちょっと、めまいがしただけで、今はもう大丈夫だよ」来栖の母は青白い顔で、来栖に言った
「若木先生に往診をお願いしましょうか?」三方が言うのを来栖の母はさえぎるように言った。
「もう少ししたら、よくなると思うので、お医者を呼ばなくてもだいじょうぶだよ」
   そのあと、来栖は三方と二人で、来栖の母を抱きかかえて、来栖の部屋へ運び入れ、ふとんに寝かせると、夜の十時だったが、三方のすすめで診療所の若木に三方の部屋の電話を借りて、来栖は電話した。若木はぶな屋敷のアパートの来栖の部屋番号を聞くと、三十分後に訪れることを約束した。
   来栖は噂に聞いていたY村診療所の若木を初めて見た。年齢は六十歳前後で、白髪の混じった長めの髪の毛の眼鏡をかけた温厚な感じの紳士で、元々は内科の医師であり、また、黄道の会の熱心な会員で、十年前Y村診療所の前任医師が高齢のため引退した折、その仕事を引き継いだとのことだった。そのときは東京から妻と一人娘といっしょにY村に来たのだが、その後、彼以外の家族は東京に戻ってしまったのか、いつの間にか彼一人になってしまい、Y村の元からの住民である中年の看護婦と二人で診療所を運営していた。
   若木は来栖の母から、目がぐるぐる回るようなめまいが起きたときの状況を聞くと、中高年女性に多い『耳石浮遊』が原因の可能性があると言い、頭の位置を動かすような体操をすることを母にすすめ、それを母に実際させてみて、様子を見るように伝えた。このときの診断では、若木は来栖の母に薬を飲ませたり、処方箋を出すことはなかった。
   来栖は初対面にもかかわらず、この若木医師がとても信頼がおける人のように感じた。そこで来栖は、若木に話したいことがあるからと言って、「ぶな屋敷」から1キロ前後の距離の診療所に隣接した家に徒歩で帰る若木を送っていくことにした。来栖は、Y村に来てから、自分の事を相談できる人が誰もいなかったこともあり、自分がかけられているよしこに関係する嫌疑のことを若木に相談したかったし、また、自分のまったく知らないY村や黄道の会のことを知っているはずの若木に聞きたいこともあったのだった。

 

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