来栖が振り返ると、そこにいたのは、黄道の会の「第一層」に属する人間としては、表面上は特別な役職や権限を持っているとは思えない、「特別二級」の資格を持つ、村の長老の猪田だった。
「来栖くん、しばらく見かけなかったようだが、どこかに行ってたかな?」と猪田は、来栖に問いかけた。
来栖はY村分校の教員で、Y村を離れてどこかへ長く行くと言うことはあり得ず、その意味を図りかねていたが、ふと、自分が最近、土日の黄道の会の公式行事に全く参加していなかったことに気づき、それにより、猪田が来栖がどこかに行っていたのではないかと思ったであろうことにやっと気がついた。
実際のところ、来栖はこのところ、二週間連続で、土日は「校外学習」の事前準備及び同僚の三輪友紀がいなくなったことにより、結局、全学年の仕事を抱え込み、仕事を自宅に持ち帰ってやっていた。李玲玲はあくまでも教員補助であり、また、その煩雑な仕事を嫌う彼女の性格もあり、来栖の負担増は避けられなかった。正式な教員は自分一人で、分校の仕事が忙しく、土日(当時公立校は土曜隔週休み)も仕事を自宅に持ち帰ってやっていたので、黄道の会の活動に参加できなかったことを猪田に告げた。
意外にも猪田は、来栖の言うところをよく理解し、分校に正式教員の補填をより容易にするには、三輪友紀の病気休暇(H県90日以内)を給与の減額がある「休職」に変えて、手続きしなければならないが、自分がY村の教育委員などにかけ合って、そのことを推進してもよいが、三輪本人の方でも手続きが必要だと言った。
ここで、初めて来栖は、各学年の児童の人数は少なくても、全学年自分一人で学習資料作りをすると言う「過労死」しかねない自分の多忙の原因が三輪友紀の側にもあったことを聞いて愕然とした。
また、当初はY村の村役場側と言うよりは、黄道の会の執行部では、やはり「第一層」の李玲玲が、補助教員の立場でありながら、正式教員が来栖一人になることにより、より正式教員に近い役割を担うことができ、黄道の会の教義に則した教育をより深く児童たちに施すことができることを期待し、三輪友紀の病気休暇を「休職」にすることに消極的だったと言う状況もあることを猪田から聞かされ、来栖は再度強い衝撃を受けた。
黄道の会の執行部は教育現場のことや、来栖一個人の仕事量などは全く考慮に入れていないことだけは間違いなかった。ついでに言っておくが、猪田は大木村長の前の村長であり、今でも村の委員をしており、村役場や教育委員会に一定の影響力があるようだった。
「猪田さん、三輪さんは亡くなったお兄さんと同じ白血病だと聞いています。治療は恐らく一年くらいかかるそうで、どんなに順調でも最低数か月はかかるそうです」 来栖がそう言うと、猪田は言った。
「わしもちらっとは聞いていたが、やはりそうだったのか……三輪くんは真人(まこと)くんのようにならないよう、病気に打ち勝つよう、わしも今日から祈ることにしよう。だが、そういうことなら、三輪くんと連絡して、医師の診断書を早く出すように言わなくてはいけないようだな」
来栖は三輪友紀の現状を考え、電話で連絡を取ることはやや困難であると考えたが、N町の本校の校長や大木にも指示を仰ぎながら、状況を報告することを猪田にも伝えた。
やがて猪田はあとから大講堂から出てきた他の人たちと話を始め、その人たちといっしょに大講堂を離れて行った。来栖はその場で大講堂から出てくるはずの母を待ったが、不思議なことにまったく姿を現さず、また、来栖がもし可能なら、今晩にでも訪ねようと思っている診療所の医師の若木の姿もなかった。
三方夫妻が出てきたので、来栖は母を見なかったかどうか尋ねたが、二人共知らないとのことだった。そのうち、大講堂から出てくる人はまばらになり、いっとき経つと、とうとう誰も出て来なくなった。来栖はまた、大講堂の中に戻って、母を探すことも一瞬考えたが、その場合、臨時集会のあとの何か特別な会合で人が残っている可能性もあり、黄道の会の規定では、招集を受けていない人間が特別な会合に現われることは禁じられていることだったので、来栖はとうとう、母を待つのをあきらめ、家路に着くことにした。
帰る途中、夜空の片隅でごろごろと言う音を聞いていた来栖だったが、突然閃光があってから少し間を置いて、激しい雷鳴が響き渡った。雷雨の中、来栖はびしょ濡れになって、ぶな屋敷の自分の部屋にたどり着いたが、やはり母の姿はなかった。





