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読者の皆様を惹きつけるストーリー展開でありながら、高尚なテーマを持つ外国の小説みたいなものを目指しています。

村 (第5章 4)

2020年05月31日 | 小説

   ちょうど夜の十時をまわったが、母は帰らなかった。来栖は狭い浴室のタイル張りの風呂から出て、窓を開けると、もうとっくに雨が上がっていることに気がついた。扉をたたく音がして、来栖が出てみると、隣の三方だった。
「診療所の若木先生からお電話です」三方が言うと、来栖は直感的に母の身に何かあり、若木の世話になっているのではないかと感じ、急いで三方の部屋へと向かった。
「……ああ、来栖先生? お母さんがI神社の裏の道でうずくまっていたのをさきほど、厚朴(ほうのき)さんが見つけて、車で診療所に運んで来てくれました。お母さんは今、診療所にいるけれど、歩行中、つまずいて足をねんざして、歩けないそうなので、応急処置をしましたが、骨折の疑いがあるので、明日、N町の整形外科の病院に行かなければなりません」電話の受話器から聞こえてくる若木の声は来栖をあまり心配させてはいけないと思ったらしく、平静だった。しかし、来栖が思うところでは、実際来栖の母は雷雨の時、外にいて、衣服はびしょ濡れになっているはずだし、また、足をねんざして、たいへんな痛みを感じているかもしれなかった。
   来栖はすぐに若木の元へ向かうため、ぶな屋敷の自分の部屋を飛び出した。
   歩いて十五分ほどで、若木の診療所に着いた来栖は母が服も濡れていないし、意外に元気なことに驚いた。聞くところによると、近々、黄道の会の入会式に臨む来栖の母を含めた三人が、「臨時集会」の終了後帰らずに、そのまま集会場の「鳳凰の間」から小部屋の「黄山」の間に移り、「老君洞」の住職で、序列第三位の正導師の羽山からいろいろ説明を受けていたとのことだった。それは九時ちょっと過ぎ頃に終了したが、母たち三人が大講堂を出たときにはすでに雨は上がり、母が他の二人の入会予定者と別れて、I神社の裏の道を通りかかったのは、九時半頃だった。街灯がなく、暗かったこともあり、道の端の方で、木の根っこにつまずいて、うずくまっていたところ、そのすぐ近くに住む厚朴がたまたま車で通りかかり、来栖の母を発見して、診療所まで運んで来てくれたとのことだった。
   来栖は黄道の会の会員で、Y村に本社工場がある食品会社の社長の厚朴を思い出した。彼も四十代半ばの大木らの幹部たちと同じ大学の欧開明が主催したサークルの出身で、黄道の会の発起メンバーの一人だった。なぜなのかわからなかったが、この大学は東京にあったが、発起メンバーの多くは関西出身の大木を初めとして、西日本出身が多かった。厚朴も関西人だった。
「厚朴さんにはあとでお礼に行かないといけないね」母が言った言葉にうなずいた来栖だったが、ねんざはそれほど重くはなくても、母をN町の整形外科病院に連れて行かねばならず、どうすればよいか考えなければならなかった。幸い、翌日の土曜は、授業がない土曜で、家に持ち帰ってやる仕事が多い来栖だったが、なんとか時間をつくることができそうだった。
   来栖の考えていることを見透かしたかのように若木が来栖に声をかけた。
「主に高齢者の通院や買い物のために、N町に直行する村民バスと言うのが八雲さんの発案で今週から始まりました。このバスはほぼ毎日あるそうで、始発は村役場の前から朝七時発だそうです。帰りのバスはN町総合病院の前から出るそうです」 来栖は母の通院の交通手段の問題はなんとか解決できることを感じ、少し安心した。
   その夜、歩くのが困難だった母のために、若木は自分の車で母と来栖をぶな屋敷まで送りとどけてくれた。別れ際、来栖は若木に言った。
「いろいろとありがとうございました。明日、N町総合病院の整形外科に母を連れて行きます……それと、もし先生のご都合がよろしかったら、明日の夜、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
   若木は即座に来栖にかまわないと言ったが、一呼吸おいてから、ふと思いついたように、来るときはあまり人に見られないように来て欲しいと付け加えた。来栖が理由を問うと、実はこのY村の中にも、監視の目があるとのことだった。来栖がうなずくと、若木は車を走らせて、帰って行った。
   来栖は母に肩を貸して、母を支えながら、ぶな屋敷のアパートの階段を上って行き、二人で部屋に入った。来栖はさきほどは気づかなかったが、郵便物が郵便受けにあるのを発見した。それは母宛てで、東京の近郊にいる、サラリーマンと結婚して、子供の一人いる来栖の姉からの手紙だった。
 来栖が母に手紙を手渡すと、来栖の母は老眼鏡を取り出して、ゆっくりと手紙を読み、やがて来栖に言った。
「仁美(ひとみ)が来月、この近くに来る予定があって、わたしに一度電話で連絡して欲しいと書いてあるよ」
「えっ? 姉さんがなんでまた、こんな田舎に来るんだろう?」来栖がそう言って、母から姉の手紙を見せてもらうと、彼女の高校時代の第一の親友が奇遇なことに、このH県の県庁所在地のS市の男性と結婚予定で、その結婚式に呼ばれたのだと言う。
   来栖は、黄道の会にまったく理解のない、自分の姉が、黄道の会にまもなく入会する母のことを知ったら、どんな反応を示すのかを想像して、複雑な気持ちにならざるを得なかった。

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