会場内に入ろうとする古敷のよしこはたいへん執拗で、八雲の手に余っているようにも見えたが、八雲はどこか手を抜くようなところがあり、何度か瞬間的にはよしこに突破されたが、それを、また押し戻していた。
「……やくも!わたしを放して!わたしのダーリンに会いに来たんだから……」よしこは八雲を振り切ろうともがきながら、言った。
八雲はよしこの耳元に吹き込むようにして言った。
「……よしこのダーリンは“くるすせんせ”、だったよね……」
「……違うわよ!ダーリンはそこいるよ、ほらそこに!」よしこはそう言って、前方の舞台上の欧開明を指差した。八雲は少しも慌てずに言った。
「……よしこのダーリンはあの人じゃないだろう……」
よしこはむきになって反論した。
「……嘘じゃないわよ!……わたしはあの人と結婚して、あの人の子供を生んだんだから……でも……あの女の子の赤ちゃんはどこに行ったのかしら……」
八雲はよしこを抱きかかえ、両手で彼女の顔をある一定方向に向けた。その先には来栖がいた。
そして、八雲は、右手前方の席に座り、他の大勢の人たちと同じように振返り、ぼかんと口を開けて、よしこを見ている、西洋人と言うよりは、中東の人のような、いわゆる「濃い」顔の来栖を指し示して、自信を持って、ゆっくりと諭すように言った。
「……よしこのダーリンは“くるすせんせ”だろう。よく思い出してごらん……く、る、す、せんせ……なあ、そうだろう……」
よしこは混乱した自分を取り戻したかのように自問自答した。
「……く、る、す、せんせ……ああ、聞いたことがあるわ!あの人がわたしのダーリンだったかもしれない……」
そして、よしこは八雲の手を振りほどこうともがきながらも、ざわめく列席者の皆に聞えるような、更に一段と大きな声で叫び出した。
「くるすせんせ~!わたしのダーリン!こっちへ来て!」
あたかも、皆の視線がよしこから会場にいる、来栖に一斉に向けられたようだった。
驚き、慌てたのは来栖だった。その困惑の表情を見て、隣りの席の友紀が、急に手のひらを返したように、冷たく言い放った。
「……来栖先生、あのかわいそうなよしこさんに何かしてませんか?……彼女はとてもかわいい人ですし、彼女の病気をよいことに、みだらなことを考える人がいて……彼女は、村の男の人にひどいことをされそうになって、助けられたことが、何度もあったらしいですよ!」
「……ぼ、ぼくは何もしてもませんよ。この村に来たばかりのころ、あの人に付きまとわれて、困っていて、八雲さんに助けてもらいましたよ。た、ただ、それだけです……」うろたえれば、うろたえるほど疑惑を招くことを知りながら、来栖は大慌てで、そう答えた
その来栖の反応を見て、友紀の疑念は増していくかのようだった。
その時、同じ日の午前十一時ころ、警察が分校の体育館になだれ込んだとき、八雲の指示でどこへともなく姿を消し、その後、誰も姿を見なかった、いつもは欧開明の警護役の三人の屈強な若者が所々油に汚れた、見ようによっては兵士の軍服のようにも見えないこともない、薄茶色の上下の作業着服姿で現れ、八雲の手からよしこを切り放すと、よしこを鳳凰の間の会場の出入り口からどこかへ連れ去って行った。
八雲はまるで汚い物にでも触ったかのように、身体に付いたほこりをたたくような、しぐさを見せた後、ゆっくりと舞台に戻り、マイクを取って皆に語りかけた。
「皆さん、たいへんお騒がせしました。会を続行します……」
八雲は、中断していた女性の研究者の話を続行するよう促した。
欧開明は古敷のよしこが会場に闖入しようとしたときも、何も動揺することなく、平静にしていた。また、欧開明は四人の研究者の一人一人の話が終わるたびに、一人一人と握手をし、会場の皆の方に顏を向けて、聴衆に拍手を求めた。
特に最後の、比較的若いと言っても、六十歳前後と思われる食糧生産の植物工場の男性研究者の話は感動的で、人生のたいへん困難な局面で、それは家族の問題や研究上でぶちあたった壁であったが、黄道の会の教義に基づく、欧開明の励ましの言葉で、それらの困難に皆、打ち勝つことができ、黄道の会に心から感謝するとともに、欧開明を讃える言葉を何度も何度も繰り返し述べた。欧開明は、話を終えた、この最後の一人の研究者と握手を終えると、両手を自分の顏の位置まで挙げ、自分でも拍手をして、これを締めくくった。
会場の拍手は暫く鳴りやまなかった。
やがて、やっと静寂が訪れ、しばしの間があった後、おもむろに舞台の中央に進み出た八雲は、約八百名の黄道の会の会員に向かって語りかけた――これから黄道の会の『二十年計画』のビデオを公開するが、内容は会の外部の人には絶対に口外しないようにと念を押した。
「……みなさん、今晩は!……欧開明です。……例会の日でも無い、本日、みなさんに集まっていただき、お話するのは、わが黄道の会に対して、日本の政府が言われのない理不尽な大捜査を始めたからです。みなさんもご承知の通り、『源体宇宙論』を信奉する、われわれ黄道の会は、世界人類の平和と幸福を祈願する『正義』の団体で、世界十二か国にもその信仰の輪を広げています。そして、それぞれの国で、黄道の会は正しい宗教団体であるとの承認を受けています。にもかかわらず、日本の官憲がこの黄道の会に対して、この大捜査を始めた原因はなぜでしょうか?わたしはその原因と、政府筋の黄道の会の会員や支援者たちが、この暴挙を抑えることができなかった状況をこれから、お話ししたいと思います……」欧開明はそう言って、卓上のコップの水を一口飲んで、元の位置に置いた。
H県Y村にある黄道の会の大講堂の大広間の鳳凰の間に集まった大勢の人々、恐らく八百名前後と思われたが、皆、しーんと静まりかえり、一生懸命、欧開明のこれから語る言葉を一言一句聞き漏らさないよう、神経を集中させているかのようだった。欧開明はなおも続けた。
「……この世界は欺瞞に満ちています。正しいことを完遂するにあたり、抵抗を受けることは全くありうることであり、過去にその例は数えきれません。では、具体的に何があったのでしょうか?それは三つあります。……先ず第一には、わたしたちの『十年計画』、『二十年計画』、『五十年計画』、『百年計画』を外部に漏らす者があり、その内容を知った政府関係者が、大きな疑念を持って対処したと言うことです……」
途端に会場の人々はざわめき始めた。
「……また、もう一つの面は、黄道の会の一連の調達に関する商業活動が疑念の眼で見られたことです。……では、それは何の調達かと言うと、現在は『十年計画』を計画通りに推し進め、多少の修正はあるものの、ほぼ計画通りに事を進め、現在は既に『二十年計画』に入っています。近い将来の、われわれの『五十年計画』の期間中に遭遇するであろう『核戦争』に備えて、今は、各方面で準備をしているところであり、その調達物資が、シェルター建設の関連物資であったり、大気中や土壌にある大量の放射性物質の除去の研究に必要な物資であったり、こちらからは絶対に攻撃はしない、防衛専門でありますが、『核戦争』後の非放射能汚染地域―-それは、現在の経済的には立ち遅れた、未開発地域ですが、そこで生き残った武力を持つ集団から、われわれの身を守る為の最低限の防衛装置の製造に必要な物資、その防衛装置は武器に近いもので、法律に触れないぎりぎりの線でありますが、その製造に必要な物資を購入すると、容易に疑惑をもたれやすい…… またシェルター内で食糧になる植物を栽培する為の植物工場建設の為の物資等。……簡単に言うと、われわれの『二十年計画』、『五十年計画』を推進する為の、ある種の傾向を持つ物資の調達に関して、疑念を持たれた……これが二つ目であります……」欧開明は会場の人々の反応を確かめるように、ここまで語ると会場内の聴衆を一望した。Y村の人々――黄道の会の会員たちは皆、身じろぎもせず、欧開明の話を聞いていた。咳払い一つ聞えなかった。
来栖はじっと欧開明の話を聞く、友紀の表情に注目していたが、半信半疑の来栖とは違って、こちらは真剣そのものだった。
欧開明は話を続けた。
「……三つ目は人の失踪の疑惑です。黄道の会の会員、または黄道の会の『源体宇宙論』及びそれに基づく世界観、未来観、教義に深く、深く賛同した、それぞれの分野の研究者たちが、『五十年計画』の半ばで遭遇するであろう『核戦争』に対処する為、先ほど申し上げた、いくつもの研究・実用化のテーマについて、このY村からはそれほど遠くない、みなさんにはお知らせしていない場所にある、研究施設で、ほとんど家族との連絡も断ち、長期間研究に没頭されています。その先生方は外国人の方が多く、日本人もおります。この先生方の一人が失踪されたと思われ、その先生の外国の家族の方から捜索願が出されました。また、もう一人の方はわれわれの手違いで日本の長期滞在ビザが切れていたこともありました……これらが皆、今回の官憲の黄道の会に対する捜査の理由の全てです……その証拠として、こちらに来ていただいた、先生方をご紹介します……」
そう言って、欧開明は舞台上に坐る西洋人の男性三人、女性一人の研究者を一人、一人順番に椅子から立たせて、聴衆に紹介し、研究者一人一人に通訳を通して発言をさせた。
その内の一人、大気中の放射能の除去装置の研究をしている、高齢だが非常に精力溢れる男性の研究者は、通訳の女性を介して、黄道の会の教義に深く賛同していること、欧開明の人間性を深く尊敬していることをY村の黄道の会の会員たちに力強く、語りかけた。
女性の研究者が自分の研究テーマである、密閉空間(恐らくシェルター内)の中での長期生活における人間のストレスと心理状態について語りはじめたところで、突然、会場に鳥の鳴き声にも似た、女性のヒステリックな奇声が聞え、会場は大きくどよめいた。
見ると、大広間の入口で古敷のよしこが闖入しようとしていて、いつの間にか舞台からいなくなっていた、八雲が、それを必死に押しとどめようとしていた。





