RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

とっくりと丹波くりに人間の建設を詠みとく秋

2012-10-07 12:30:33 | こんなんどう?

かもとくも



すいか夏が終わると


くり秋が・・・。



秋が来て

草むらの虫たちが
一斉に鳴き始める
虫…むし?
無視…蒸します
秋が呼ぶから
栗を蒸します
栗の茶巾絞りを作って
仲秋の名月の月見だんごとした
ウサギさん
お元気ですか
餅はつけてますか
栗菓子でひと息
おちついて

初くりの後
帰国中のあまぐりさんと
深夜メールをせっせと世件話
尖閣問題やら
切実にて
早く無事に本帰国できたら良いね

そんな
あまぐりさんから
丹波の栗届く




神無月 嬉しうましの くり届く

茶巾絞る 端からくりくちに こぼれ落ち

ちょ~字余り。
るる(笑)

駄句・・・俳句といえば
小林秀雄と岡潔の対談の
『人間の建設』という本の中で
小林秀雄が語る話
印象に残ったので



小林秀雄の30年来の友人であった骨董屋が亡くなって
その息子が親父の一周忌に句集を出したいと告げて
親父さんの日記から小林秀雄に
俺の句集をだすから序文を書けと言ったら
書いてやる と 言ったと日記に書かれてある
その証拠の日記を持って彼の息子が会いに来る
息子が持って来たノートブックには
鉛筆でたくさん俳句が書いてあって
それをこの間ずっと読んでいたのですと小林秀雄





その会話がこう続く
『素人の俳句ですから、それは駄句でしょうがない。俳句でもなんでもありゃしません。するとね、「小林秀雄を訪ねる」とかなんとか、そういう詞書きがついて、俳句を詠んでいるのです。 彼は李朝のいい徳利を持っていまして、ぼくは酒のみですからいい徳利がほしいのですが、それだけはいくら売れと言っても売らないのです。骨董屋ですから、みんな売り物のはずだが、それだけは離さない。それで二十八年間です。二十八年間、わたしに見せびらかしやがって、そいつも酒のみですからね、どうだどうだといって、そして売らないのですよ。私はほしくてほしくて、ついに二十八年目にぶんどっちゃったのです。




どうしても売らないから、ぼくは酔っ払って徳利をポケットに入れまして、持って帰ってしまった。そしてお前が危篤になって電報をよこしたら返しにいく、それまではおれが飲んでいるからなといって持ってきちゃったのです。
それでぼくはいまも飲んでいるわけですが、奴は電報を出す暇もなく死んじゃったのです。
その俳句をずっと読んでいったら、『小林秀雄に』という詞書きが出てきましてね
『毒舌を 逆らわずきく 老いの春』
という句を読んでいるのです。
考えてみたら、それは私が徳利を持って帰った日なのです。





そしてその次に
『友来る 嬉しからずや 春の杯』とかいうのがあるのです。

その日なんです。つまりぼくが徳利を持って行ったということなんですわ。
ぼくは、まさか徳利をぶんどったときに俳句を詠んでるとは知らないでしょう。
息子が来て、俳句をひねっていることがわかったわけです。
それから私は俳句というものを少し考えちゃったのですよ。芭蕉とかなんとかいったって、おもしろいということになると、このほうが駄句だけれど、私にはおもしろいのですよ。」

「内容だってありますね」と岡潔

「しかしそれは私でなければわからないのです。」

と小林秀雄。




このあと食いしん坊だった骨董屋の
おもしろい句を紹介してるのだけど
その骨董屋さんを知らなくてもおもしろい句なの

『あれはああいふおもむきの海鼠(なまこ)かな』

とか
柳橋で芸者をあげて

『来る妓(おんな)皆河豚に似てたのもしく』

食いしん坊だから
こうなる(笑)

人間を知るということは面白いね
また自分だけが知る その人との話というのも
なんかいい
徳利をぶんどっちゃう人も人だけど
二十八年間見せつける人も人(笑)
それを句に詠む人
その句を読み解く人
ちょっと粋でしょ




人は人に何を残すか
それは多分
『コイツも。コイツも?か。コイツメ・・!』
っていう しがない思い




これでもか的夏の締めくくり
このところの腰痛苦痛の必需品



自力で治すしか方策なしか。と悲観的秋
死活問題 だが、いたし。かたなし。
中高年最高!!



今日のてーま 飛ぶ?




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