RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

市場調査は公園調査の帰りに紅葉狩を兼ねろう

2009-11-26 15:05:02 | よかね~

(ビルごと紅葉してまっせ)

治まっていた腹腰痛が
少しぶり返す
昨日歩き回ったせいだ
先日終わったと思っていた
公園調査の追加
残作業の連絡があり
でも
一昨日
くもりのち雨ふりそう

天気予報も下り坂
荒れる心も下り坂
なんとか心にバンソコウ張って
死ねないならば生きるしかない


公園施設の写真撮りだが
雨も寒いのも
やだな・・・。
と思っていた



(紅色にも色々あるから綺麗も色々)


(窓の中の秋は山のこだまに匹敵す)


ところがどっこい
明けて次の日
大晴れ
あっぱれ
しかも暖かい!

やっぱり
あたしゃ天に愛されている
現場に行く日は
大抵青空が広がる
だてに
何時も空を見ながら
歩いているわけじゃあない
空とのコミュニケーション
であるからして
空もわかってくれている

勝手に思うのは勝手でしょ




(遠い紅葉にいかんでも近所の公園にあるね秋)




昨日の公園は秋色で
そんなに色気づくな
と釘をさすほど

しかも市役所前には
市場が立っている
「ふくおかマルシェ」
とやら

調査写真を撮り終わって
帰りがけに見てみた

夕方だったせいか
人は少なかった

野菜や果物や干物に
パンやソーセージに花も
あったが
腰が痛いし荷物があるから
梨を2個だけ買って帰った
100円白菜も買えばよかった
と後で思った

市場は朝に行くべきだね
と思う



(旧福岡県公会堂貴賓館内には最近レストランができたよ)



市場といえば
小学生るる
所謂、鍵っ子だったが
学校から帰ると
市場に行くのが日課だった

大抵
姉はまだ帰っていない
閉まった玄関に鍵を突っ込む

愛猫が扉の向こうで
おかにゃーり
にゃにゃ~り~
と鳴いて出迎えてくれて
玄関を明けて
天気が良けりゃ
二階の物干しで猫と昼寝した後

買い物かごを提げて
市場に出かける
猫の飯と家族の餌(おい!逆)
を買いに






当時でも
買い物籠提げて市場にいる小学生は
あまりいなかった
大抵はおこずかいで
おやつを買いにくるとか
お使いで何か買い忘れを頼まれたり
そんな小学生に
まれに出会う程度






市場のおじさんが
るるに何故かいつも

『奥さん♪今日はいい干物あるよ!』
などと呼び掛ける
『奥さんじゃない。お嬢さんでしょ。』
などと
突っ込むこともなく
干物をちらと見て
『いやこっちの目指しちょうだい。』

たんたんと買い物をすませて行く





市場というのは
非常に重要な場所であり
世の中を映し
人間社会を支えている
のは
言うまでもない

人は市場を歩くべきだ
少なくとも
三日に一度くらいは
あちらこちらの市場へ





しかしだ
今は市場たる市場がない
市場らしい市場がない
これは
便利さを突き詰めた結果なのか

野菜をサランとオブラートにつつみ
みかんをオレンジ色のネットに入れて
肉を自然光でない赤い光の下で色良く見せ
帰ってあけたら
肉の脂は折り込んであるから
半分が脂だよ
おい!
みかんはオレンジ色も薄い
味も薄い

地域5キロ圏内ごとに市場を下さい!


スーパーは便利だが
できれば
色とりどりの野菜や果物は
裸で山盛り

市場の 
おっちゃん おばちゃんに

『奥さん!とれ とれや!
もう価格破壊や!かわにゃ後悔の嵐よ!
もう いっこも もうかれへん
けど~奥さんの喜ぶ顔がみたい!
さあ。もってって や、かっとくれ やっしゃ!』


声かけられつつ歩く
それが 市場

市場がすたれば
世もすたる
太陽が暮れないうちに
市場へ行こう

そこのパソコン 見てる
あなた
はよ いかにゃ
ええもん なくなるで
これ ほんま



(ついでに公園にも寄ってね)



今日のジョーク(脳のトレーニング用)

「学問の階層関係」

哲学は実際は心理学だ。
心理学は実際は生物学だ。
生物学は実際は化学だ。
化学は実際は物理学だ。
物理学は実際は数学だ。
そして、小さな声で、
数学は実際は哲学だ。


「集合論の講義」

「数学の世界には3種類の数学者がいる。数を数えることができる数学者と数を数えられない数学者だ」さらに続けるには、「別の分類もある。人間を2種類の人々に分けることができると信じている人とそんなことはできないと信じている人々だ。そして、2種類の人々に分けたとしても、そのどちらかに属する人とどちらにも属さない人々だ」


「正確な表現めざし、かえってわかりにくくなる文章表現法」

何事も遺漏なく進めるために、注意書きに関する重要な注意に注意して下さい。
あなたの周りには注意しなければならないたくさんの注意書きがあり、増え続けているといえます。
注意書きのあるものは注意されますが注意されないものもあります。これは注意に値することです。注意書きが注意に値するくらい注意されることがないという注意書きに対する反応に我々は注意を促したいのです。したがって、この注意書きは注意書きが注意されないことがないように注意書きに対する反応をより高めるための注意を促すことにあるのです。
 
     (坂井博通「大学教授コテンパン・ジョーク集」より中央新書ラクレ)



(公園カラスに注意)


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