礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国民学校は児童の自発的な学習態度を育てる

2016-01-28 05:34:24 | コラムと名言

◎国民学校は児童の自発的な学習態度を育てる

 昨日の続きである。清水甚吾『国民学校学級経営法』(東洋図書株式合資会社、一九四一)という本に依拠しながら、戦中の「国民学校」の教育について紹介している。
 本日は、第四章「国民学校の教育方針と施設経営」から、第一節「皇国の道の修錬」の全文、および第二節「心身一体の教育」の全文を紹介してみたい。

第四章 国民学校の教育方針と施設経営
 一 皇国の道の修練
 国民学校の教育方針として十項目示してある。其の中の第一項より第三項までを挙げてみると、
 一 教育ニ関スル勅語ノ旨趣ラ奉体シテ教育ノ全般ニ旦リ皇国ノ道ヲ修練セシメ特ニ國體ニ対スル信念ヲ深カラシムベシ
 二 国民生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ体得セシメ情操ヲ醇化シ健全ナル身体ノ育成に力ム〈つとむ〉ベシ
 三 我ガ国文化ノ特質ヲ明ナラシムルト共ニ東亜及世界ノ大勢ニ付テ知ラシメ皇国ノ地位ト使命トノ自覚ニ導キ大国民タルノ資質ヲ啓培スルニ力ムベシ
とある。此の三つの項目は、前に述べた国民学校の目的を敷衍〈フエン〉したもので、国民学校に於ける教育の精神と内容とを明かにし教育の全般に亘つて皇国の道の修練を旨とするのであるから、実践形態としては、修道といふことによらねばならぬ。修錬となると知行合一によつて常に道を求めて精進する態度が必要である。従つて、致師は「躬行して人を導くは教の本なり」といふことに則り、先づ師道を確立し、実践躬行〈キュウコウ〉により児童に範を示し、又児童と共に実行して行くといふやうにして行かねばならぬ。
 児童は、謙虚随順の徳を以て、教師長上を尊敬し、友達を信頼し、常に誠実に道を求め実際にこれを行つて、天壌無窮の皇運を扶翼し奉るべき忠良なよい日本人になるやうに努めて行かねばならぬ。今度の国民学校の教育が所謂「行」〈ギョウ〉の教育であるといつて、たゞむやみに児童をして窮屈な思ひをさせ、児童に無理がかかり、児童を萎縮させるやうになつてはならぬ。児童は明朗快活なものであるから、すがすがしい気持で活動する態度が望ましい。
 一体「行」といふことになると、道徳酌宗教的の意味があるから、黙想とか朝起〈アサオキ〉神社参拝とか坐禅とか歩行訓練とか夏季心身鍛錬とか寒稽古〈カンゲイコ〉とか特別に行ふこともあるが、これまで毎日やつて居ることを行的〈ギョウテキ〉に而かも師弟同行〈シテイドウギョウ〉で行くことが肝要である。黙想の如きは道徳的宗教的の深い意味をもたせないでも、一年生から心の落ち着きを作る為に行はせて効果がある。坐禅といふやうなことは学校長の信念から実践させ、これによつて行的教育の実績を挙げて居る学校があつて、これは誠に結構なことである。併しどこそこの学校に坐弾をやつ居る〔ママ〕から、すぐにそれを真似してやるといふ真似の行はいけない。それでは、毎日やつて居ることを師弟同行といふのでばどんなにやるかといふと掃除にしても、掃除によつて学校を綺麗にし、骨惜しみをせず精神をこめて一生懸命にやり、それによつて私利私慾を考へないで公の為に尽すといふ精神を養つて行くやうに師弟同行でやつて行く。掃除をなし、掃除をさせて貰ふことによつて修養するといふことに進めば道徳的のみならず宗教的意味ももつてくる。運動場の草取や学校園の作業にしても、教師も児童も作業服を着て、これまた私利私慾を離れ師弟同行で一生懸命に働く。体操にしても同様で、教師児童共に体操服(作業服と一致する場合もあらう)で、単なる技術だけでなく精神をこめての身体修錬をする。かかる場合に、教師は同じ服装しなくても、児童は教師の命に従つて行動するのが、児童としての随順の徳といふ人もあるが、教師が同じ服装をし、教師が躬〔身〕を以て実行して居る其の無言の教育が如何に大きな影響を及ぼすかは明瞭なことである。無意識的感化による教育の数果の大なることを思へば、教師の躬行実践が必要であることがわかるであらう。
 次に各教科の授業に於ても、単に知識技能の伝達方法たらしめないで、知識及び技能の修得を通じて皇国の道を修めしめ国民的性格を育成する教育方法たらしめることが肝要である。各教科各科目の授業も、その実践形態が行的であつて、実行を通して体得させねばならぬ。修身の如きは勤勉にしても掃除や作業や学業を実際に勤勉させるといふ実行と共に其の精神なり更に其の向上について教育せねばならぬ。理数科の如きは直観観察実験実測を通しての教育が尊重されなければならぬ。又芸能科の習字の如きにしても、姿勢を正しくし、精神をこめて修練させるやう教育して体得させて行かねばならぬ。
 要するに、教師が知識及び技能を注入伝達によつて、観念として行くやうな教育方法は清算されねばならぬ。併し知識技能を軽視し忽〈ユルガセ〉にするといふのではない。教師も児童も誠実を以て、皇国の道に向つて心身一如〈イチニョ〉、全心身を働かせて勤労的に労作的に教育育して行けばよい。
 二 心身一体の教育
 国民学校の教育方針の第四項に
「心身ヲ一体トシテ教育シ教授訓練養護ノ分離ヲ避クベシ」
とあつて、文部省の説明には教育上特に注意すべき事項として次の五項が挙げてある。
(一) 学習は同時に「行」であり或は「行」としての学習であらねばならぬ。
(二) 知識の徹底を期し知識の軽視と偏重に陥つてはならぬ。
(三) 作業を重んじ実践を通して知徳を啓培せねばならぬ。
(四) 学校の全生活を通じて躾〈シツケ〉を重んじ自覚的に善良な習慣を体得せしめねばならぬ。
(五) 児童の負担を軽減し過労を避け心身の健全な発達を期せねばならぬ。
 以上のやうに、国民学校の教育方法に於ては、教授・訓練・養護の分離を避け心身を一体として教育し、国民的人格の統一的発展を期するやうに扱つて居る。然るに、従来は、教授と訓錬と養護ととを別々のものとして分離し、教授の時には教授だけのことを考へて、知識技能を授けることをした。そして、訓練とか養護の方面は閑却した。教授中に訓練や養護の方面でも何かいふことは教授が下手のやうに誤解した。皇国の道の教育になると、知の方面を把握して教育することもあり、徳の方面を把握して教育することもあり、体の方面を把握して教育することもある。之が孤立的になり統一を欠いては生命がない。生命のないものは行的にはならない。生きた姿により関連的に見ることによつて、教授即訓練即養護とする訳である。例へば体操といふと、手を振り是を動かすと考へた。それを体錬として表にからだ、裏に精神として皇国臣民の錬成をして行くが如きである。
 殊に修道となると躾といふものが非常に大切になつて来て、此の躾といふものは教科教育の時にも極めて必要である。又、姿勢といふものは養護上極めて大切であるが、修道に於て特に必要で、姿勢は至誠に通じ、形と心とがまごころで出来て居らねばならぬ。一年生の時には最も躾に注意しなければならぬが、躾の根本として姿勢について指導することが大切である。腰掛けた時の姿勢は、足と両手を揃へ、腹の皮に皺〈シワ〉がよらないやうに伸し、眼は先生に注ぐとかうして直立の時の姿勢は先づ腰を伸す、腰が伸びて居るかどうかを自覚させる方法としては、余り度々やらせることはどうかと思ふが、自分の臀部〈デンブ〉を両手で掴んでみると、膝が合つて腰が伸びて居る時には臀部が固くなつて掴めない。膝や越が伸びてゐない時には臀部が掴める。それから手指は中指に力を入れてすつと下へ伸す。次に眼をきめて頭が動かないやうにする。此のやうに姿勢が出来ると低学年児童も注意が集中する。
 皇国民の錬成といふことから、訓練だけを特別にして行くといふやうなことは誤りである。合同訓練とか合同体操とかをなし、或は勤労作業とか、それ等の特別のことをして、これだけによつて皇国民の錬成をして行かうと考へて居る人があつたら、国民学校の全精神とは違ふものである。以上のやうなことも大切なことであるが、是等が教科教育と一体となつて行かねばならぬ。
合同訓練・合同体操で、あれだけ生き生きと活動させながら、教室に於ける教授を見ると、全く児童は受動的に死んだやうになつて、教師の一斉画一〈イッセイカクイツ〉教授による注入伝達をして居るやうなのはよろしくない。勿論、児童の外形的活動をいふのではない。児童が自発的に道を求め、内的活動と共に、質問・作業・実験・発表等をなし、全心身を働かせて行く学習態度を養成して行かねばならぬ。
国民学校に於ては、教〈オシエ〉を立て師道を確立すると共に、児童の真摯なる自発的の学習態度を養成することが大切で、弁証法的に両者を一体とした教育方法を樹立せねばならぬ。

 かなり長い引用になったが、ここはかなり重要なところだと思う。「行の教育」などという怪しげな言葉が出てくることでもわかるように、この当時の教育というのは、児童の心身に、国家の道徳的、宗教的イデオロギーを注入する役割を果たしていた。
 おそらく当時、学校関係者あるいは教師たちは、そのことを当然とした上で、「皇国民の錬成」などと称し、「合同訓練」や「合同体操」の実践に、力を入れていたと思われる。
 ところが、この本の著者である清水甚吾は、そうした「外形的活動」への傾斜が生じるであろうことを見通した上で、「外形的活動」そのものを否定することはしないが、それは「教科教育と一体」とることで、初めて意味があるのだと指摘した。そのように指摘することで、あえて「教科教育」の重要性を強調したのである。
 清水甚吾という人物については、まだ、詳しいことを知らないが、この時代、こういうことを自信をもって指摘しているところを見ると、なかなかの学者だったと言えるだろう。【この話、さらに続く】

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1 コメント

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修養主義は下へ下へ浸透する (尾崎)
2016-02-02 01:01:14
行とか修行とか錬成とか、身体教育に関わる用語が出てきてああやはりなあと思いました。明治後期に盛んになる修養主義はやがて教養主義に分化し学歴エリートの文化・イデオロギーとして支配層に浸透していきますが、これは戦後に没落します。前者の修養主義は師範出の教員、小学校の教員に浸透してこれまた下中層に浸透します。私はこの修養主義が戦後も生きながらえてというか、小中学校の教員文化・イデオロギーとして彼らの(私も)無意識を支えてきたと思います。
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