礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦中における高校入試国語問題の傾向

2016-01-10 07:32:09 | コラムと名言

◎戦中における高校入試国語問題の傾向

 数日前、雑誌『言語生活』(筑摩書房)の第二八二号(一九七五年三月)を手にしていたとき、保阪弘司〈ホサカ・ヒロシ〉の「昭和――この半世紀の入試国語の転変」という論文が目にとまった。
 この保阪弘司という名前には、聞き覚えがあった。むかし、旺文社の受験雑誌で、しばしば、この名前を目にした。当時、現代国語の受験参考書も出していた。旺文社のラジオ講座も担当していたような気もする。
「入試国語の転変」を語れる人物として、保阪弘司は適材だったのであろう。ともかく本日は、保阪弘司の右論文を紹介してみることにしたい。論文末尾にある保坂の肩書きは、昭和女子大学教授。名前の読みも、論文末尾に従う(ウィキペディアでは、「ほさか こうじ」)。
 論文は、「一」(戦前)、「二」(戦中)、「三」(戦後)の三節からなるが、紹介するのは、「二」である。

  二
 戦中は、いちおう昭和十三年〔一九二八〕ごろから終戦までと見よう。前年〔一九二七〕の十二月に日本軍の南京占領という事態が起り、十三年には一月に近衛声明(蒋介石政権を相手とせず)が出、直ちに軍需工業動員法発動、二月には人民戦線(労農派・教授グループ)検挙が行われ、急速に戦時色を深め、年を追ってエスカレートしてゆく。そして、入試国語の面では、昭和十七年(一九四二)に、“敵性語”という理由で、入試から英語を追放するという客観情勢の中で、一段とウェートを加えてゆくのである。このころ“憂国の志士”型学者の橘純一の「源氏物語は不敬の書たり」という文部省への建白書が出されるという一コマもあった。むろん、入試国語の世界では、一挙に画然と戦時色を示すというようなものではなく、前期を受け継いで、徐々に変貌・転変してゆくのである。
 まず古文について見よう。出題様式の面では依然として全文解釈であるが、傍線解釈に徐々に移行する傾向が見られる。いずれにしても解釈が中心である。古典の面では相変らず近世雅文が多く、『徒然草』『枕草子』などもかなり出ているが、戦雲が深くなるにつれ、北畠親房の『神皇正統記』、賀茂真淵の『賀茂翁家集』、本居宣長の『直毘霊』たど、日本精神とか国体とか皇室につながるようなものが多い。中世の『増鏡』が頻出されているのも、この線にそうている。『万葉集』の「御民われ生けるしるしあり天地の栄ゆる時にあへらく思へば」や、『金槐集』の「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心われあらめやも」などの忠君愛国的な和歌も多く出題されている。
 つぎに現代文であるが、出題様式はやはり全文解釈が首位を占めてはいるが、古文よりも一歩早く傍線解釈に移行する傾向を強く示している。平明な表現に深い思想を盛り込んだ文章が多くなった関係で、解釈より説明の要素を深めている。例えば昭和十四年〔一九三九〕の山形高の第二問は、厨川白村の『十字街頭を往く』の文について、三カ所の傍線部の説明を求めている。内容探求問題も次第に多くなってきた。思想的含蓄のある相当長い文を提供して、多角的設問によって、内容の理解をテストしようとするものである。とくに文脈追求力と思想要約力を見ようとする設問が多いようだ。例えば、昭和十四年〔一九三九〕の二高の第三問は、『国体の本義』の文について「文化ニ対スル二ツノ考ヘ方ヲ簡単ニ述ベヨ」など三つの設問を出している。
 この期には要約力問題も漸増の方向を示している。いわゆる大意問題・要旨問題である。「十行以内デ述ベヨ」とか「左ノ余白ニ収マル範囲デ述ベヨ」とかいう制約が示されているのも目新しい要求である。鑑賞批評問題が抬頭したのも、この期の特色といえよう。これは、たとえば「左ノ文ノ情景ヲ説明セヨ」「右ノ文ヲ鑑賞セヨ」「次ノ句ヲ評釈セヨ」「左ノ歌ノ作者ノ心境ヲ述ベヨ」といった要求であり、どちらかといえば、詩歌問題に多く課せられている。出典の面には、時局への抵抗と迎合という翳〈カゲリ〉が匂うのであるが、今はそれを詳しく論ずる紙面の余裕はない。手許にある小生の調査資料(戦前をも含む)によれば、戦たけなわの昭和十六年〔一九四一〕までに、高山樗牛が五一校に、幸田露伴と藤岡作太郎が二九校に、夏目漱石が二八校に、樋口一葉が二四校に、綱島梁川が一八校に、阿部次郎が一七校に出題されている。そして、時局的色彩の強いものとして、徳富蘇峰の『昭和国民読本』が二八校に、『国体の本義』が四六校に、『戦陣訓』が二一校に、そして明治天皇の御製が二八校に出ている、といった状況である。
 漢文の方でも、出題様式の面で全文解釈から傍線解釈に移行する傾向が見えてくる。また、これまで解釈問題と併せて出題されていた返点・送仮名問題が、独立して出されるようになり、さらに書き下し問題も次第に増加している。目新しいところでは漢詩が多くなり、従って鑑賞力がテストされるようになったことである。出典の面では、日本漢籍で『言志四録』『慎思録』、中国漢籍で『論語』『孟子』『史略』『十八史略』『唐宋八家文』『文章軌範』の多く出されているのは、従来通りだが、この期の特質的傾向として、いわゆる日本精神の鼓吹を企図して、藤田東湖の『弘道館記述義』、浅見綗斎の『靖献遺言』、会沢正志斎の『新論』、山鹿素行の『中朝事実』、元田永孚の『幼学綱要』、および史論として、頼山陽の『日本外史』『日本政記』、青山延于の『皇朝史略』、大槻磐渓の『近古史談』が活溌に出題されている。
 作文では、軍人関係の学校、例えば陸士で「我が国体の精華」というような題を出すのは当然だが、一般の高校・専門学校でも、一高で「日本人」、東京高で「勤労奉仕の体験」、山形高で「東亜新秩序の建設」、府立高で「銃後の覚悟」、東京外語で「聖戦」、東京高師で「勤労の精神」、広島高師で「奉公の道」、といった戦時色の濃い出題が多く見られる。

*このブログの人気記事 2016・1・10(9位にやや珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする