礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「成果主義」の虚妄が明らかになった2004年

2013-09-20 02:35:58 | 日記

◎「成果主義」の虚妄が明らかになった2004年

 ジェームス・C・アベグレン著、山岡洋一訳の『新・日本の経営』(日本経済新聞社)が刊行されたのは、二〇〇四年一二月一〇日のことであった。
 この年、いわゆる「日本的経営」の問題をめぐって、ふたつの重要な本が出ていた。
 そのひとつは、一月に刊行された高橋伸夫氏の『虚妄の成果主義』(日経BP社)である。その「オビ」には、次のようにある。

 気鋭の東大教授(経営組織論)による初の本格的批判/揺れる企業トップ、悩める人事、落ち込む一般社員におくる、「成果主義」の愚かしくも、無残な正体!

 もう一冊は、七月に刊行された、城繁幸〈ジョウ・シゲユキ〉氏の『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』である(光文社)。この本は、かつて富士通人事部に在籍していた同氏が、同社において生じた成果主義の弊害を詳細に、かつ赤裸々に報告した本であった。
 この二冊は、当時、大きな話題を呼んだ。やはり日本では、成果主義はうまくいかないのかと納得し、いわゆる「日本的経営」を再評価した経営者や従業員は多かったはずである。
 アベグレンの『新・日本の経営』は、これら二冊が出た年の暮に出ている。これはとても偶然とは思えない。当時のアベグレンは、すでに日本国籍を取得し、東京に住んでいたという。「成果主義」が日本の企業を混乱に陥れて事態を目の当たりにし、このあたりで、いわゆる「日本的経営」を再評価しておく必要を感じたのではないだろうか。すなわち彼は、この時期、高橋伸夫氏や城繁幸氏と、ほぼ同様の問題意識に立っていたと考えられるのである。
 ただ、アベグレンが高橋伸夫氏の『虚妄の成果主義』の刊行を知って、そのあと急遽、『新・日本の経営』の執筆にとりかかったという可能性も否定はできない。なぜなら、高橋氏の同著は、アベグレンの旧著『日本の経営』の紹介に、かなりのページ数を割いているからである。【この話、さらに続く】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半世紀ぶりに新版が出たアベグレンの『日本の経営』

2013-09-19 09:21:34 | 日記

◎半世紀ぶりに新版が出たアベグレンの『日本の経営』

 先日、必要があって、ジェームス・C・アベグレン著、山岡洋一訳の『新・日本の経営』(日本経済新聞社、二〇〇四)を手に取った。
 ジェームス・C・アベグレンは、一九五八年に“The Japanese Factory”という本を書き、これは同年にダイヤモンド社から、『日本の経営』(占部都美監訳)として刊行されている。二〇〇四年の『新・日本の経営』は、それから半世紀近く経って刊行された新版ということになる。『新・日本の経営』の原題は“21st Century Japanese Management Japane”で、英語版の刊行は、二〇〇六年であったようだ(Palgrave Macmillan社)。
『新・日本の経営』を翻訳した山岡洋一氏は、優秀でかつ著名な翻訳家だったが、惜しいことに、二〇一一年に亡くなっている。
 山岡氏は、同書の「訳者あとがき」で、この本について次のように解説している。

 著者のジェームス・アベグレンは研究者として、経営コンサルタントとして、五十年にわたって日本企業の経営をみてきた立場から、意外な事実を明らかにしている。日本で成功している企業がじつは、技術の面では最新のものをとりいれ開発しているが、経営組織という面では日本的な価値観を維持している企業だというのだ。アメリカで流行している最新の経営手法を逸速くとりいれる企業はスマートでかっこ良く、マスコミでもてはやされるが、ほんとうに業績のいい日本企業は、遅れていてかっこ悪いとされている価値観を、ときには言い訳としか聞こえない理屈をつけてまで、愚直に守り通しているというのである。事実はなんとも意外なのだ。
 著者は一九五八年に刊行された『日本の経営』でそう指摘し、五十年近くたったいま、同じ点を指摘している。著者の姿勢は一貫しているし、方法も一貫している。著者はほぼ五十年前に日本的経営の特徴として、終身の関係(いわゆる終身雇用制)、年功序列制、企業内組合をはじめて指摘した。
 このなかでもとくに有名な終身雇用制は、本書でも指摘されているように、とくに誤解されることの多い概念である。翻訳をしていて感じた点だが、誤解の一因は著者がとった方法が十分に理解されていないことにあるように思える。著者が指摘したのは政府なり企業なりが決めた「制度」ではない。「終身の関係」という概念であり、最近の言葉でいえば「モデル」に近く、社会科学の言葉でいえば「理念型」なのだと思う。つまり、複雑で矛盾だらけの社会現象を理解するために作られた概念なのだ。だから、廃止されたり終わったりするようなものではない。問題は現実を理解するための概念として有効かどうかだけである。そして著者は、この概念がいまも有効であることを本書で実証している。
 五十年前といまとでは、著者の論調に違いもある。それは、五十年の間に時代が変わり、日本企業がたえず現実の変化に対応してきたからでもあるが、もうひとつ、想定する読者が違うからだろう。『日本の経営』は主にアメリカの研究者を想定読者としている。そのため、日本の経営の手法、とくにいわゆる終身雇用制を紹介したとき、まったく非合理的な制度だという印象を読者に与えることを十分に意識したうえで、最後の結論部分で、非合理的だとみえる制度が、日本の近代化、工業化という目的に照らせば合理的であることを説明した。それに対して本書は、主に日本の企業関係者を想定読者としているように思える。だから、日本の経営の利点を見失わないように、読者を励ますように書かれていると、本書を翻訳しながら感じた。

 山岡洋一氏の力量をうかがわせるわかりやすい「解説」である。それにしても、ジェームス・アベグレンは、なぜ、半世紀近くも経って、『新・日本の経営』を書いたのだろうか。【この話、続く】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森永乳業の定款(1953)と営業概況(1954)

2013-09-18 10:55:21 | 日記

◎森永乳業の定款(1953)と営業概況(1954)

 昨日のコラムでも述べたが、一九五四年一二月に刊行された『森永五十五年史』には、「森永砒素ミルク事件」のことは、一切出てこない。しかし、森永乳業株式会社の沿革、関係施設、製品のことなどは、比較的詳しく紹介されている。
 本日はまず、同社の当時の定款(昭和二八年一一月二七日)の一部を紹介してみよう。

 森永乳業株式会社定款
 第一章 総則
第一条 当社は森永乳業株式会社と称する
英文では MORINAGA MILK INDUSTRY CO.,LTD.(略称MORINAGA)と表示する
第二条 当会社の目的は左に掲げるものとする
一、煉乳、粉乳、バター、チーズ、其他各種乳製品並に其原料の製造販売
二、人造バター、医薬品等其他育児栄養品並に其原料の製造販売
三、牛乳搾取処理販売及清涼飲料水、アイスクリーム、滋強飲料の製造販売
四、農畜産物の加工並に販売
圭、種畜の育成飼料の製造販売
六、乳幼児用品の製造販売
七、前各号に掲げる物品の委託販売
八、前各号に付帯又は関連する一切の業務
第三条 当会社の本店を東京都港区に置く
第四条 当会社の公告は東京都に於て発行する日本経済新聞に掲載する【以下略】

 続いて、「森永乳業株式会社事業概況」という文書の一部を紹介する。ここには、昭和二九年三月時点のデータが載っている。

 森永乳業株式会社事業概況
 森永の乳業は大正六年〔一九一七〕創設の日本煉乳株式会社に端を発した。同社は大正九年〔一九二〇〕森永製菓株式会社に合併、森永製菓畜産部(後に煉乳部)となり、昭和二年十月分離独立して森永煉乳株式会社(後に森永乳業株式会社と改称)となる等、幾変遷を経過した上、戦時統制の影響を受けて昭和十七年〔一九四二〕製菓本社に合併されたが、終戦後産業復興の曙光を見るに及んで逸早く独立し、昭和二十四年〔一九四九〕四月旧商号〔森永乳業株式会社〕をもって更正再出発、戦後に残された各種の困難を克服して事業の再建をはかった。このため数名の役員社員を欧米に派遣して研究の上、鏡意新設備の充実につとめた。わが国酪農業再建に払った当社の努力はやうやく結実して、現在全国に乳製品工場二十、市乳〈シニュウ〉工場七、事務所・研究所各二、事業所・出張所各一を擁し、就中〈ナカンズク〉平塚、松本両工場のロケット・ミルクプラントの新鋭設備をはじめとして諸設備の近代化をはかり、さらに東京都内には新たに市乳工場増設を計画するなど大量生産の実〈ジツ〉を発揮してゐる。最近の営業報告書による業績は下記の如くである。【以下略】

 ここに「市乳」という言葉がでてくるが、これは、「市販している牛乳」という意味である。
 ちなみに、森永乳業の第一〇期(昭和二九年三月まで)の総売上げ高は、三、六九〇、二二九、九四五円であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砒素ミルク事件発生当時の森永の乳製品

2013-09-17 09:14:11 | 日記

◎砒素ミルク事件発生当時の森永の乳製品

 森永製菓株式会社を発行元とする『森永五十五年史』は、一九五四年一二月に刊行された。
 森永製菓株式会社の直系会社である森永乳業株式会社製の粉ミルク「森永ドライミルク」による重大な中毒事件、いわゆる「森永砒素ミルク事件」が浮上したのは、一九五五年六月のことであった。
 したがって、『森永五十五年史』には、「森永砒素ミルク事件」のことは、一切出てこない。
 ウィキペディアによれば、「森永砒素ミルク事件」とは、次のような事件であった。

 森永乳業は、1953年(昭和28年)頃から全国の工場で酸化の進んだ乳製品の凝固を防ぎ溶解度を高めるための安定剤として、第二燐酸ソーダ(Na2HPO4)を粉ミルクに添加していた。試験段階では純度の高い試薬1級のものを使用していたが、本格導入時には安価であるという理由から純度の低い工業用に切り替えられていた。1955年(昭和30年)に徳島工場(徳島県名西郡石井町)が製造した缶入り粉ミルク(代用乳)「森永ドライミルク」の製造過程で用いられた第二燐酸ソーダに、多量のヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上の中毒による死亡者も出た。この時使用された第二燐酸ソーダと称する物質は、元々は日本軽金属がボーキサイトからアルミナを製造する過程で輸送管に付着した産出物で、低純度の燐酸ソーダに多量のヒ素が混入していた。この産出物が複数の企業を経て松野製薬に渡り脱色精製され、第二燐酸ソーダとして販売、森永乳業へ納入された。
 1955年(昭和30年)当初は奇病扱いされたが、岡山大学医学部で森永乳業製の粉ミルクが原因であることを突き止めた。1955年(昭和30年)8月24日、岡山県を通じて当時の厚生省(現厚生労働省)に報告がなされ、事件として発覚することとなる。

『森永五十五年史』の四〇二~四〇三ページに、「森永の乳製品」というコーナーがある。それによれば、一九五四年当時、森永乳業が製造販売していた乳製品は、次の一二種類だったようだ。
① ビタミン入り森永βドライミルク(β乳糖入り・缶入り・一九五四年発売)
② ビタミン入り森永ドライミルク(缶入り・一九五〇年発売)
③ 森永ミルク(全脂加糖練乳・缶入り)
④ ③の小型缶
⑤ 森永スキムミルク(家庭用脱脂粉乳・箱入り)
⑥ 森永スキムミルク(小型缶)
⑦ 森永コスモスミルク(無糖練乳・缶入り)
⑧ ⑦の小型缶
⑨ 森永チーズ(箱入り)
⑩ 森永ヨーグルト(瓶入り)
⑪ 森永ホモ牛乳(一合瓶)
⑫ 森永ホモ牛乳(二合瓶)

 これらのうち、徳島工場が製造し、中毒事件を起こした「森永ドライミルク」というのは、たぶん、②の「ビタミン入り森永ドライミルク」のことだろう。これはうろ覚えだが、高級品であった「金線入りドライミルク」を使用していた家では、中毒は起きなかったという話を聞いたことがある。この「金線入り」というのが①の「ビタミン入り森永βドライミルク」のことであろう。ちなみに、『森永五十五年史』の四〇二ページにある写真(白黒)をみると、「βドライミルク」のほうは、缶の中央に帯がはいっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森永ミルクキャラメルの戦時型容器について

2013-09-16 02:40:20 | 日記

◎森永ミルクキャラメルの戦時型容器について

 先日来、『森永五十五年史』(森永製菓株式会社、一九五四年)について言及しているが、本日もそれに関する話である。
 同書の三二八~三二九ページには、「戦時型製品の発売」というコーナーがある。ここには、森永製菓が先の大戦中に発売していた製品が紹介されている。本日は、これら戦時型製品の中から、森永ミルクキャラメルの戦時型容器を紹介してみよう。
 この戦時型容器は、それまでの外箱・内箱からなっていたものを改め、一体型としたものである。デザインは今日のものと基本的に変わっていない。表面には「森永ミルクキヤラメル」とあり(森永は右書き)、その右に「滋養豊富」、左に「風味絶佳」とあり、左下に右書きで「定価十銭」とある。
 両側面には、右書きで「森永ミルクキヤラメル」、上部と下部には、「20CARAMELS」とある。
 いかにも時代を感じさせるのは、背面である。まず上部に右書きで「森永謹製」とある。右側には、次のような注意がある(改行は原文のまま)。

 コノ容器〈さっく〉ハ国策型一重〈ひとえ〉容器デス
 真中〈まんなか〉ヲ開ケルトバラバラコボレマスカ
 ラ召上ル時ハ上ノ口ヲオ開ケクダサイ  実用新案登録出願中

 背面中央には、次のようにある。

 戦ひは続いてゐる、銃後の職場も戦場だ 大政翼賛会 森永キヤラメルしおり

 この部分は、切り離して「しおり」として使えるように工夫されている。
 背面左側には、製品の説明がある(改行は原文のまま)。

 本品は当社化学試験部にて検定したる砂糖・水飴・練乳・バター・牛乳及
 び数種の滋養品に芳香を加味して謹製したるものなれば極めて消化よく滋
 養豊富なり、常に用ふれば身体の疲労を恢復し咽喉を整へ胃腸を調和し且
 根気を増す故に愛児に与ふれば其発達を助長し身体を強健ならしむ。

 このキャラメルの容器は、どんなものでも、その時代の空気を映す史料となりうる、ということをよく物語っていると思う。

*歴代アクセス順位・ベスト20

1位 本年4月29日 かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)    
2位 本年2月26日 新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』(1946) 
3位 本年8月15日 野口英世伝とそれに関わるキーワード            
4位 本年8月1日  麻生財務相のいう「ナチス憲法」とは何か         
5位 本年2月27日 覚醒して苦しむ理性(矢内原忠雄の「平和国家論」を読む) 
6位 本年9月14日 なぜ森永太一郎は、落とした手帳にこだわったのか     
7位 昨年7月2日  中山太郎と折口信夫(付・中山太郎『日本巫女史』)    
8位 本年2月14日 ナチス侵攻直前におけるポーランド内の反ユダヤ主義運動  
9位 本年7月21日 記事の更新なし                     
10位 本年6月23日 小野武夫博士の学的出発点(永小作慣行の調査)      
11位 本年4月30日 このままでは自壊作用を起こして滅亡する(鈴木貫太郎)  
12位 本年7月5日  年間、二体ぐらい、起き上がってゆくのがある      
13位 本年6月29日 西郷四郎が講道館入門した経緯についての通説と異説   
14位 本年7月29日 西部邁氏の不文憲法支持論(1995)への疑問     
15位 本年9月3日  統制経済は共産主義の緩和か(高田保馬の統制経済観)  
16位 本年7月26日 世にいう「本願ぼこり」と吉本の「関係の絶対性」    
17位 本年8月24日 「無実の罪で苦しむのも因縁」と諭された免田栄さん    
18位 本年7月30日 過激派にして保守派の西部邁氏にとっての伝統とは    
19位 本年8月21日 吉本隆明と「市民社会の狭小な善悪観」         
20位 本年8月4日  記事の更新なし          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする