礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

統制経済は共産主義の緩和か(高田保馬の統制経済観)

2013-09-03 07:05:01 | 日記

◎統制経済は共産主義の緩和か(高田保馬の統制経済観)

 高田保馬の『統制経済論』(日本評論社、一九四四)は、統制経済の概説書ではない。高田のオリジナルな理論である「勢力説的経済理論」によって、統制経済の本質を論じようとしたものである。
 したがって、この本は、高田の「勢力説的経済理論」を理解していないことには、読解が不可能である。この本によって、戦中の統制経済について、初歩的な認識を得ようとしても、それは無駄な試みというものである。
 しかし、高田が、「統制経済」について、どのようなイメージを持っていたかを知ることは、難しくない。
 本日は、同書の一三二~一三三ページにある記述を引用してみよう。

 今日の統制経済の思想には二の伝統又は系譜がある。一は共産主義的思想の緩和、現実への適応として成立したるものである。それは共産主義に於ける要求としての資本私有の廃止と生産消費の計画化乃至国営組織化の二のうち、私有の排除が或は不可能であり或は困難である場合、資本私有をそのままにして国営又は生産消費の計画化のみを残存せしめる。かかる主張に於ては今日の企業に於ける資本私有をそのままにして経営担当者を此所有から切断し、国家又は其代行機関をして之に当らしめようとする要求を要求を生む。これ最も徹底的なる形に於ける所有と経営の分離の主張である。統制経済の主張に於ける系譜の他の一は共産主義に対して私有資本の上に立つ企業を尊重し、其活動の自主性に期待し、ただ企業をして私的追求にはしることなきやうに、国家権力の統制を強化しようとする。此傾向にあつては企業の自主性に重点を置くほど、一方からいふと、生産力の増加を重要視するほど、企業に於ける所有と経営の結合を必ずしも排除せず、必要に応じては其結合を利用するといふ場合も起り得る。
 尤も以上に述べたるところは論理的に必然なる主張ではない。生産力に重点を置く考〈カンガエ〉からも、今まで所謂資本家の営利の努力ヘの弊害を強く感じたるものは、二者の完全なる分離を要求することがあらう。共産主義的地盤の上に立つても、漸次の変革を有利とするものは、表面二者の一致を説くであらう。

 これは、統制経済についての思想の「伝統又は系譜」をまとめたものであって、高田の「統制経済」観を開陳したものではないが、高田自身もおそらく、こうした「伝統又は系譜」の上に立って、「統制経済」というものを捉えていたものと思われる。

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