礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

早朝のバス待合所に見る終戦直後の心象風景

2013-09-06 03:25:03 | 日記

◎早朝のバス待合所に見る終戦直後の心象風景

 終戦直後の一九四五年一二月、毎日新聞社から『教育の新理想』という小冊子が発行された。本文四〇ページ、定価八〇銭である。
 序文「『教育の新理想』に就て」によれば、この小冊子は、毎日新聞社の論文募集に対して寄せられた論文のうち、優れたもの五編を選んで編集したものという。
 本日は、その論文のうち、橘東海氏の「真の姿を見得る教育」の一部を紹介しよう。紹介したいのは、実は橘氏の教育論ではなく、「一、前書き」に示されている氏の体験談である。

 数日前、近県に居住する兄夫婦の病床を見舞つたことがあつた。バスと列車と合せて乗つてゐる時間は僅かに二時間に過ぎぬが、バスと列車との連絡が悪く、またバスの発着も少なく、かつ不規則なので、往復の困難はまた格別であつた。前回見舞つた時は私一人であつたので、バスに乗らず約六里以上の山道を夜通しかかつて上つて帰つた。今回は老妻を連れてゐるので、帰りはバスの出るところまで戻つて帰り、翌日バスに乗る準備をしなければならなかつた。これは帰りはかなりの坂道を上るのでバスの乗員に制限があり、かつこの道は当今の食糧事情で買出しに出かける人々が多いので、朝八時の、一番のバスに乗れなければ昼ごろの二番のバス、これに乗れなければ午後のバス、これに洩れれば、殊〈コト〉によるとまた一日逗留しなければならないからである。
 バスの切符はこの夏までは、不正な方法である特殊の人々で大部分占領されたさうであるが、今では常連の乗客たちが来た順序に番号札を分け合つて切符を買ふことに申合せた結果、切符闇〈ヤミ〉売買の弊害は除去されてゐる。しかし前晩から夜通し待合所で持つてゐる人も多いし、翌朝の列車で到着する人も多数なので、是非翌日中に帰らうと思へば、朝の四時か五時に待合所で待つ以外には方法がないと旅館の主人に教へられて、われわれ両人は朝四時からバスの待合所に出掛けた。
 そこには前夜からそこに寝ながら待つてゐた七人ばかりの人々と、朝早くから起きて来た人々で、先着の十二人の人々が電球をはづされて真暗〈マックラ〉になつてゐる待合室の中で食糧事情の困難なことを語つてゐた。中にはコンクリートの上に筵〈ムシロ〉を敷いて寝てゐた男もあつた。その地方は可なり〈カナリ〉高度が高く、夜はすでに冷えはじめてゐるので、誰かがブリキ罐と木片とを持つて来て細々と焚火〈タキビ〉をして夜の明けるのを待つてゐた。駅員はバスの乗客が夜の間から待合所に詰〈ツメ〉かけて来るのを嫌つてか、その直ぐ傍〈カタワラ〉にある便所の電球も取外して真暗にしてあるので、夜通しそこに留まつて〈トドマッテ〉ゐた人々は、闇夜〈ヤミヨ〉の用便に可なりの難儀難儀をしたことを語つてゐた。夜が明けかかるころ、駅員が一人やつて来て、火を焚いてゐることを非難し一同を罵倒して行つた。
 バス会社がバスの発着を規則正しくせず、乗客を一日中荏苒〈ジンゼン〉と拱手佇立〈キョウシュチョリツ〉せしめるのも不可解であるが、駅員がバスの待合所及び便所の電球を撤収し、冷気せまる闇夜に二本の木片を焚いてわづかにの暖と明りとを採つてゐる乗客を罵倒するに至つては、その心無さに胸を絞められる思ひをした。しかし私は敢ヘてこれらの駅員等を非難しようとは思はない。これ等の人々は一般の他の人々とともに、この大東亜戦争によつて皇国を空前の大危機に陥らしめた無知と狭量と廉恥心の欠如した指導者連に倣つて、至る処に同じやうな過失を繰返す哀れな人々である。

 橘氏は、「近県」のバス待合所を舞台として、その巧みな筆で、終戦直後の交通事情の劣悪さ、乗客を罵倒する駅員の態度、それらに耐えている人々の姿などを描き出している。
 非常に興味深い一文だと思う。ただし、橘氏が当時の交通関係者に向けている憤懣に対しては、やや一面的、という感想を抱かざるをえなかった。
 なぜか。この当時のバスは、当然、炭や薪を燃料とする代用燃料車であったろう。この代用燃料車は、始動に手間と時間がかかる上に、出力のコントロールが難しく、故障も多かった。特に、このバス路線には急坂があった模様である。したがって、「バスの発着を規則正しく」することは、現実には、かなり難しかったと思う。このあたりを責めるのは酷というものである。
 また、夜中に「電球」を取り外したのは、「バスの乗客が夜の間から待合所に詰かけて来るのを嫌つて」という理由であったとは考えにくい。むしろ、節電対策、電球盗難対策だったのではないだろうか。もちろん、駅員のこうした措置は、駅員個人の判断に基くものというより、上からの指示によるものだった可能性が高い。
 さらに、待合室で裸火を焚くことは、火事に結びつく危険な行為であり、許されることではない。駅員が、火を焚いてゐることを非難したのは、むしろ当然だったと言うべきである。
 それにしても、この「近県」のバス待合所の場所は、具体的には、どこだったのだろうか。ことによると、秩父盆地あたりではないかなどと想像したが、読者のご意見・情報提供などをいただければさいわいである。なお、「代用燃料車」については、昨年九月五日以降、このコラムで連続して採り上げたことがあるので、参照いただければさいわいである。

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