◎佐藤義亮はいかにしてタバコをやめたか
本日も、佐藤義亮『明るい生活』(新潮社、一九三九)という本から。本日は、著者であるの佐藤義亮本人がタバコをやめた話である。
◇煙草をやめた話
人生は、どんな場合でも実行者の勝利であることは誰〈タレ〉しも分りきったことですが、いざ実行となると、両手を組んで考へ込んでしまふ人の多いのは何故でせうか。それは、その事を到底自分の手に負へない大変なものと決め込んでしまふためだと思ひます。
これについて私の体験をお話しさせてもらひます。
青年の頃の私は、非常な煙草好きで、チェリーといふのを一日にきまつて六箱以上ものんだので、指の先きはすつかり黄色く染まつたほどでした。で、体によくないことが痛切に感じられ、何とか節し〈セッシ〉ようとしても、極端から極端に走る当時の私には、いゝ加減なところで踏み止まる〈トドマル〉ことはできないのですから、全然やめてしまふより仕方がなかつたのであります。
併しそれほど好きな煙草をやめるなどは、到底考へられませんでしたし、又ひどい煙草好きが急にやめて、神経衰弱にかゝつたりする例が多いと聞かされては、どうやら決心しかゝつた気持がぐらついて、六七年といふ長い間、悩みつゞけましたが、煙草一つを思ふまゝにできない自分の薄志弱行には、腹を立てずにゐられませんでした。
それが或る時、ふと煙草をやめてしまふ――と極めて簡単に思つたのであります。他人〈ヒト〉をやめさすなら面倒だが、自分でやめるのは何でもない筈だと、本当に何でもない気になり、やめたらさぞ愉快だらうと嬉しくさへなりました。そして寝るとき、煙草は今日でお別れだ、明日からキレイさつぱりやめるんだと、よく自分に言ひ聞かせました。
翌日になると、煙草は一口も吸ひたくないのです、ぷかぷか盛んにふかす人と向きあつてゐても何ともありません。周囲の人だちは、到底長つゞきはしまいと高をくゝつてゐたさうですが、幾日たつても私の口から煙のでる日はなく、急にやめたから健康にさはりはせぬかと心配するものもありましたが、何の異状もなかつたのです。吸ひたいのを我慢して煙草と戦つてゐればこそ、健康を損ひますが、てんで煙草を問題にしてゐないのですから、体にさはる筈はありませんでした。
それから二十幾年になります。その間、たゞの一度も、文字どほり一度も煙草を口にしたことなく今日に至つたのであります。
かうしてやめて見れば、何でもない話のやうですが、それがなぜ、あんなに長い間やめられなかつたかといへば、本当の実行ではなかつたからでした。
本当の実行は、やめようと思つたら、たゞやめる! それだけです。余計なことを考へてはならないのです。果してやめられようか、やめたらどんなに苦しいか、やめて又のみだしたら笑はれはしないか、などゝさまざまに考へるから駄目になつてしまひます。
私が別段自慢にもならない煙草の話を長々と書いてゐるのは、こゝに処世の要諦があるからに外〈ホカ〉なりません。それはいつもお話しするやうに、世の中の一切は自分の心の鏡であつて、物事を心配したり、大袈裟に考へたりする人には、何でもないことが重大化して来る。即ち煙草をやめることは大変だと決めてしまへば、その通り大変なことになるのであります。
だから事にあたつて、軽率な、いゝ加減の態度は、もちろん戒むべきですが、いざやらうと思つた以上、それをむづかしく考へないで、単純に気軽に実行することがよき結果を得られる何よりの秘訣です。【以下略】
単なる禁煙の話のようだが、意外に奥が深い。もちろん、語り口も巧みである。
おそらく、佐藤義亮は、「説教」的な語りを得意にしていた人であったに違いない。また、それなりの「信仰」というものを持っていた人に違いない。
佐藤義亮の依って立っていた「信仰」については、若干の情報を持っているが、このことについては機会を改める。