礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「成果主義」が消滅した(?)2005年

2013-09-23 03:47:05 | 日記

◎「成果主義」が消滅した(?)2005年

 数日前、高橋伸夫氏の『虚妄の成果主義』が、二〇一〇年に、ちくま文庫に収められていたことに気づいた。その巻末には、同氏による「文庫版への補論」という文章が載っている。
 本日は、その一部を紹介してみたい。高橋氏は、この本を書くに到った経緯について触れたあと、次のように書いている。

 その意味では、二〇〇四年という年は画期的な年だったといえるのではないだろうか。『虚妄の成果主義』が出版された二〇〇四年一月は、成果主義ブームのピークだった。しかし、夏頃までにはマスコミの論調は成果主義に対してネガティブ一色になる。これは本書のおかげ……ではなく、その頃までには、さすがに現場でも、成果主義の間違いに気がついていたということなのである。
 笑い話のような語だが、最初「成果主義特集」を組もうと取材を始めた某雑誌が、取材を進めていくうちに、結局、成果主義は失敗した特集になってしまったというのもこの頃の話である。成果主義を売り込んで業績を伸ばしてきた外資系コンサルタント会社も、当時はさすがに仕事が減り、こともあろうに社歴の浅い順に(これって年功序列?!)、コンサルタントの減給やリストラを進めているとのタレコミ情報を何度も耳にしたが、まるでブラック・ジョークである。
 そして十二月には、これまで成果主義の旗振り役を果たしてきたはずの日本経団連の『経営労働政策委員会報告』二〇〇五年版が出版されると、その本文中から「成果主義」という文字が消えていた(ただし、参考文献の書名の一部には残っている)。
 少なくとも二〇〇五年以降、成果主義のマスコミ取材は会社側から拒否され続け、マスコミ関係者は愚痴をこぼしていた。もはや、成果主義だと胸を張れるような会社は残っていないのである。

 若干、コメントする。成果主義の成果をめぐって、「二〇〇四年という年は画期的な年だった」というのは、その通りである。
 ただし、そのことを指摘するのであれば、同年七月に、城繁幸氏の『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』が刊行されたこと、同年一二月に、アベグレンの『新・日本の経営』が刊行されたことについても、言及すべきであった。特に、成果主義に対するマスコミの論調が「ネガティブ一色」になったことについては、城氏の本の影響が大きかったのではないだろうか。ちなみに、城氏の本は、富士通の成果主義が破綻した経緯について報告した本であるが、城氏自身は必ずしも成果主義否定論者ではない。
 もう一点。二〇〇五年以降、「もはや、成果主義だと胸を張れるような会社は残っていない」というのはその通りなのだろうが、東京都などの地方自治体については、このことは言えない。東京都を例にとれば、二〇〇二年度から、管下の職員に対して「業績評価」と呼ぶ人事考課システムを導入し、今にいたっている。東京都は、そのシステムに胸を張っているし、それを改めるような気配はない。このことを一体、どのように理解したらよいのだろうか。

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