礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中村吉治は「封建的なるもの」をどう捉えたか

2013-09-05 08:39:44 | 日記

◎中村吉治は「封建的なるもの」をどう捉えたか

 昨日、中村吉治〈ナカムラ・キチジ〉の『日本の村落共同体』(日本評論社、一九五七:ジャパンパブリッシャーズ、一九七七)に言及したので、本日は、同書の一部を紹介してみたい。
 ジャパンパブリッシャーズ版『日本の村落共同体』の「はしがき」で、中村吉治は、次のように述べている。

 私がこの本を書いたのは、一九五七年であって、二十年前である。十年前に新訂版を出して今日に至っている。それをまた出版する気になったのは、谷川健一さんのおすすめによっている。谷川さんが、この本をひいきにしてくださっていることは知っていたが、そのおすすめに従って万事おまかせすることにしたのである。ジャパン・パブリッシャーズの高橋輝雄さんのお世話をいただくことになった。この古いものを、そのままでは気がひけるが、自ら読みかえしてみた結果は、考えの根本においては今も変わらないので、多少の修正を加えて、もう一度という気になったのである。とくに、今日の問題として議論されている共同体の残存について、この本の終りの部分は書き改めた。

 続いて、中村が「共同体の残存」について論じている部分を抜き出してみよう。
 引用は、ジャパンパブリッシャーズ版二四二~二四四ページから。同書の「終りの部分」に当たるので、ジャパンパブリッシャーズ版の刊行にあたって「書き改めた」部分ということになるだろう。

 明治以後の日本を、封建的または共同体的な性格の濃い時代というとき、内外ともにそうだというのは私は同じ得ないというのである。ただ感覚的なものや習俗的なことから、そういうのは、あるいは趣味の問題かも知れない。しかし、たとえば家の感覚・習俗を利用して、工場が家だと称し、女工を子と称して低賃銀でこき使い、病気になったら家に帰して、死の自由も与えているというときに、これを封建的といって、封建的なるものを排せといってどうなるか。この工場は決して封建的ではない。封建的なる故に理不尽な利潤をあげているのではない。資本主義における企業なのである。その資本が、その理にかなった性質からしてあくまでも利潤を大きくするための奸策として、封建的な感情や習俗を利用しているだけなのである。それが悪であるとすれば封建的なる悪ではなく、資本主義の内包する悪である。その辺は、はっきりケジメをつけるべきであろう。
 はっきりケジメをつけておいて、さて明治以来の日本資本主義に、古ぼけた封建的・共同体的な色彩が濃かったということになるだろう。それは日本杜会の、または日本人の思考の、特殊な型だと多くの人に指摘されているが、おそらくその通りであろう。そして、そうである根本には、家の存在があったのであろう。そこがまた資本主義に利用できたところに、そして利用されたところに、特徴があるのかも知れない。資本は、その原理を放棄せずに、封建的・共同体的な残影を利用し、くいこんだということになる。明治の変革の性格にもそれはあったのであろう。まとまった思想として人権確立は求められなかった。そしてそれをぬいた資本主義が導入された。資本は利用すべきものはすべて利用する。そこに資本主義日本の性格が形成されたのであろう。だから、そういう意味で封建的性質の強い資本主義というのを誤りとはいえない。とにかく「家」はあったし、「村意識」もあったのだから。しかし、それ故に、資本の原理が弱められたり、歪曲されたりしたわけではない。すべて悪の根源は「封建性」にあるとまでいうとき、この資本の本質を見失うことになるだろう。それは過去にもそうだったし、現在もまたそうであろう。

コメント (1)
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