礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森永乳業の定款(1953)と営業概況(1954)

2013-09-18 10:55:21 | 日記

◎森永乳業の定款(1953)と営業概況(1954)

 昨日のコラムでも述べたが、一九五四年一二月に刊行された『森永五十五年史』には、「森永砒素ミルク事件」のことは、一切出てこない。しかし、森永乳業株式会社の沿革、関係施設、製品のことなどは、比較的詳しく紹介されている。
 本日はまず、同社の当時の定款(昭和二八年一一月二七日)の一部を紹介してみよう。

 森永乳業株式会社定款
 第一章 総則
第一条 当社は森永乳業株式会社と称する
英文では MORINAGA MILK INDUSTRY CO.,LTD.(略称MORINAGA)と表示する
第二条 当会社の目的は左に掲げるものとする
一、煉乳、粉乳、バター、チーズ、其他各種乳製品並に其原料の製造販売
二、人造バター、医薬品等其他育児栄養品並に其原料の製造販売
三、牛乳搾取処理販売及清涼飲料水、アイスクリーム、滋強飲料の製造販売
四、農畜産物の加工並に販売
圭、種畜の育成飼料の製造販売
六、乳幼児用品の製造販売
七、前各号に掲げる物品の委託販売
八、前各号に付帯又は関連する一切の業務
第三条 当会社の本店を東京都港区に置く
第四条 当会社の公告は東京都に於て発行する日本経済新聞に掲載する【以下略】

 続いて、「森永乳業株式会社事業概況」という文書の一部を紹介する。ここには、昭和二九年三月時点のデータが載っている。

 森永乳業株式会社事業概況
 森永の乳業は大正六年〔一九一七〕創設の日本煉乳株式会社に端を発した。同社は大正九年〔一九二〇〕森永製菓株式会社に合併、森永製菓畜産部(後に煉乳部)となり、昭和二年十月分離独立して森永煉乳株式会社(後に森永乳業株式会社と改称)となる等、幾変遷を経過した上、戦時統制の影響を受けて昭和十七年〔一九四二〕製菓本社に合併されたが、終戦後産業復興の曙光を見るに及んで逸早く独立し、昭和二十四年〔一九四九〕四月旧商号〔森永乳業株式会社〕をもって更正再出発、戦後に残された各種の困難を克服して事業の再建をはかった。このため数名の役員社員を欧米に派遣して研究の上、鏡意新設備の充実につとめた。わが国酪農業再建に払った当社の努力はやうやく結実して、現在全国に乳製品工場二十、市乳〈シニュウ〉工場七、事務所・研究所各二、事業所・出張所各一を擁し、就中〈ナカンズク〉平塚、松本両工場のロケット・ミルクプラントの新鋭設備をはじめとして諸設備の近代化をはかり、さらに東京都内には新たに市乳工場増設を計画するなど大量生産の実〈ジツ〉を発揮してゐる。最近の営業報告書による業績は下記の如くである。【以下略】

 ここに「市乳」という言葉がでてくるが、これは、「市販している牛乳」という意味である。
 ちなみに、森永乳業の第一〇期(昭和二九年三月まで)の総売上げ高は、三、六九〇、二二九、九四五円であった。

コメント
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