礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

見るまま聞くままを語り続けた(岡本綺堂)

2021-12-12 00:29:14 | コラムと名言

◎見るまま聞くままを語り続けた(岡本綺堂)

 大東出版社版『明治の演劇』と岩波文庫版『明治劇談 ランプの下にて』は、基本的には同じ本である。
 両者の違いを箇条でまとめると、次のようになる。

・大東出版社版の巻頭には、額田六福による「解題」が置かれているが、岩波文庫版の巻頭には、岡本綺堂による「小序」が置かれている。
・大東出版社版の巻末には、「附録 寄席と芝居と」が置かれているが、岩波文庫版の巻末には、「明治演劇年表」が置かれている。ともに、岡本綺堂が執筆したものであるが、後者は、三好一光による増補が施されている。
・大東出版社版は、いわゆる旧漢字・旧かなづかいを用いているが、岩波文庫版は、いわゆる新漢字・新かなづかいを用いている。
・大東出版社版には、ほとんどルビがないが、岩波文庫版には、随所にルビが施されている。
・大東出版社版には、図版がひとつもないが、岩波文庫版には、三谷一馬による挿画が使われている。

 本日は、岩波文庫版から、岡本綺堂による「小序」を紹介しておきたい。

    小 序

 ことしは五代目菊五郎の三十三回忌追善興行を催すという噂を聞かされて、明治劇壇もかなりに遠い過去となったことを今更のように感じた。
 その過去の梨園【りえん】に落ち散る花びらを拾いあつめて、この一冊をなした。勿論、明治劇壇の正しい記録でなく、老いたる劇作家の昔話に過ぎないのである。
 わたしは何の参考書にも拠【よ】らず、単に自分の遠い記憶をたよりに、見るまま聞くままをそれからそれへと語り続けたのであるから、その中には伝聞の誤謬【ごびゆう】などがないとは限らない。それはあらかじめ断わって置く。
 ここに語られる世界は、電車も自動車もなかった時代である。電灯や瓦斯灯【ガスとう】の使用も、官省、銀行、会社、工場、商店、その他の人寄せ場に限られて、一般の住宅ではまだランプをとぼしていた時代である。したがって、この昔話も煌々【こうこう】たる電灯の下で語るよりは、薄暗いランプの下で語るべき種類のものであるかも知れない。
 その意味で、題名にランプを択【えら】んだのであるが、もし読者がその旧【ふる】きを嫌わずして、明るい電灯の下でこの一冊を繙【ひもと】かれるならば、著者にとっては幸いである。
  昭和十年二月         岡 本 綺 堂

 昨日は引用しなかったが、岩波文庫版の「解説」(岡本経一執筆)の冒頭には、「『明治劇談/ランプの下にて』の初版が出たのは昭和一〇年三月、岡倉書房からであった」とある。
 岡倉書房から出た初版『明治劇談 ランプの下にて』は、今日、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる。これによって、「小序」が、初版に際して付されたものであることが確認できる。なお、初版の表紙および本扉では、「明治劇談」の四文字は、いわゆる角書(つのがき)になっている。【この話、続く】

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