◎山田孝雄・橋本進吉両博士による時代区分
濱田敦『古代日本語』(大八洲出版、一九四六)から、「序説」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
其の中最も注目すべき時代区分説として、山田孝雄〈ヨシオ〉博士と橋本進吉博士との説を紹介する。山田博士は『奈良朝文法史』の序論に於いて、
「奈良朝以前」、『奈良朝期」、「平安朝期」、「院政鎌倉期」、「室町期」、「江戸期」、の六時期に分ち、主として文語口語の区別からして区分をして居られる。又最近の『国史辞典』、「国語」の項の解説に於いては、国語の時期を大きく「古代」と「近世」とに分ち、古代を更に、上代(文献以前)、奈良、平安、鎌倉に分ち近世を、室町、江戸、現代に分ちその間に両代の過渡期として吉野時代を置いて居られる。そして「古代」の特徴として言文一途、「近世」の特徴として言文二途を挙げ、語法上から見れば「近世」に於いて形容詞が「古代」の「ク、シ、キ、ケレ」から、「ク、イ、ケレ」に変じ、動詞の上下二段活用が、上下一段活用となり、一般に用言の終止形が連体形と同形になつた事を以て火きな相違として居られる。
橋本博士の説は岩波講座「日本文学」の『国語学概論』に見えるもので、これは文献以後奈良朝の終まわりでを第一期とし、平安胡の初から、室町時代の終までを第二期とし、江戸時代以後現代までを第三期とする考へ方であるが、博士は更に、平安朝院政以後とそれ以前、鎌倉時代と室町時代との間にも相違がある事は認められて居るが、他の時期のそれに比して相違が著しくなく、又調査の至らざる為境界不明であるとの故を以てこれ等の間に時期を画する事を差控へ、大きく三つに分けられたのである。従つて時代区分の根本的考へ方に於いては山田博士とさして径庭があるわけではない。唯山田博士が、吉野時代を以て古代近世の岐れ目とせられたことは、主として動詞の二段活用の一段化、終止形と連体形の合一化の傾向の生ずるに至つた事を以ての故であらうと思ふが、此の傾向は既に院政鎌倉期に其の萌芽が現れて居り、而もそれが全く完成したのは漸く江戸時代に入つての事であり、室町末期に於いても京都の標準的な云ひ方としては依然二段活用が多く用ゐられ、終止形も、助動詞に連る〈ツラナル〉場合にはまだ連体形と別の形が用ゐられる事もあつたのである。又音韻の方面から見ても、ハ行子音がまだF音であり、語中、語尾のガ行音は鼻音化せず、ジとヂ、ズとヅとの区分はまだ守られて居り、オ段の長音には開合の別があるなど、江戸時代以後と大きな差異が存するのであるから、国語を大きく古代、近世(代)の二時期に分つとすれば、むしろ其の境界を室町、江戸の交に置く方が穏当ではないかと思ふ。又春日政治〈カスガ・マサジ〉博士の新潮社「日本文学講座」の『国語史上の一画期』、湯沢幸吉郎〈コウキチロウ〉氏の『室町時代の言語研究』、小林好日〈ヨシハル〉氏の『国語学通論』に於いて述べられた時代区分の説もやはり室町時代を以て、その古今の岐れ目として居られるのである。本書に於いても大体これ等の時代区分説に従ひ、室町時代頃以前の日本語を以て古代的性格を帯びたるものと考へ、之を江戸時代以後の近代語的性格 の日本語と比較対照しつゝ、その特質を究明せんとするものである。勿論一般に文化科学の対象は自然科学のそれの如く、はじめから明確な形で与へられるものではなく、茲に一応室町時代以前のものを漠然それと仮定しても、研究を進めて行く中にはその輪廓が予定したものとは異なつてしまふと云ふ様なこともあり得ることであり、結局如何なるものが古代日本語であるかと云ふ問題に対する解答は古代日本語の研究が悉皆〈シッカイ〉為された後に於いて始めて与へらるべきものであることは云ふまでもない。
文中、「室町、江戸の交」とあるが、この「交(こう)」は、「かわりめ」の意。
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