礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

瀧川政次郎の「火と法律」を読む

2018-11-25 05:04:51 | コラムと名言

◎瀧川政次郎の「火と法律」を読む

 久しぶりに、瀧川政次郎の『法史零篇』(五星書林、一九四三)を取り出して読んでみた。この本は、何度、読んでも面白い。文章も良い。
 同書は、瀧川政次郎が満洲にいたころ、同地の新聞や雑誌に発表した「雑文」を集めて編集した本である。発行元は、新京特別市大同区の五星書林で、発行年月日は「康徳十年九月廿五日」。発行部数は三〇〇〇部、定価は三円である。
 本日は、この本の中から、「火と法律」という文章を紹介してみたい。初出についての記載はないが、その発表が、同書発行より三年以上遡ることはないと思われる(「序」の記述から推して)。

  火 と 法 律

 近ごろ必要があつて、成吉思汗〈ジンギスカン〉の大法典というものを一寸覗いてみたが、その中に
  火又ハ灰ニ放尿スル者ハ、何人ヲ問ハズ、死刑ニ処ス。
といふ一条があり、又
 食物ノ料理セラレル火ノ上、又ハ食皿ノ上ニ、足ヲ置ク者ハ、処罰セラルべシ。
といふ意味の条文があつた。蒙古人にとつては、火は神聖なものであるから、それを涜す者は厳罰に処せられるのである。蒙古人が火を清浄なるもの、神聖なるものとしたことは、和林【カラコルム】の蒙古朝廷に使したヨーロツパの使節の記録にもあらはれてゐる。外国の使臣が蒙古汗王に謁見するためには、先づ猛火の燃えさかる間をくぐらなければならなかつたといふことが、其の使節の日記に出てゐるが、これは外国使臣は穢れた者と一応考へられるが故に、火によつて祓除〈フツジョ〉を行つたものであらうと思ふ。日本でも、王朝時代には唐、渤海の使節が入京した際には、先づハラヒを科してゐる。
 カルピニーの蒙古人の歴史にも、蒙古人の迷信として次の如く述べてゐる。
《蒙古人は正しき行為に対する法律、若しくは罪悪に対する警告を持つてゐない。それにも拘らず、彼等は彼等自らの創造、又は祖先の創造に係る罪悪と言はれるものにつき或る伝説を有つてゐる。斯る罪悪となつてゐるものを挙げてみよう。火にナイフを触れしめる事、又ナイフを用ひて鍋より肉を取出す事、これらは凡て罪惡となる。何となれば、これらは火の頭を切り落すものだと彼等は考へてゐるからである。》
カルピニーが蒙古人の迷信といつたのは、蒙古人の法律といつたのと同じ意味である。人種的偏見の強いヨーロツパ人は、自己の法律観念と違ふ法律観念を法律観念として受けとることができないで、これを迷信といつたまでのことであつて、神聖なものが火であつても、十字架であっても、迷信といへば迷信にかはりはない筈である。
 火を神聖なものとする思想は、蒙古人に特有なる思想でもなければ、拝火教徒〔ゾロアスター教徒〕に特有なる信仰でもない。凡そ地球上に住むすべての民族の曽つて有し、又その或るものは現に有する思想信仰であつて、われわれ日本人の祖先も、火を神聖なものとして敬虔な態度で取扱つたのである。【以下、次回】

 原文では、冒頭の引用「火又ハ灰ニ放尿スル者ハ、……」が、「水又ハ灰ニ放尿スル者ハ、……」となっていたが、文脈から判断し、校訂を加えた。また、原文では、「祓除」とあるところが、「拔除」となっていたが、これも文脈から判断し、校訂を加えた。

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