礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東京港開港と鎌田詮一

2018-11-03 03:12:56 | コラムと名言

◎東京港開港と鎌田詮一

 昨日の続きである。本日も、山田秀三郎著『罪悪と栄光』改訂版(大日本皇道会、一九七〇)について紹介してみたい。
 同書は、全七編から成るが、本日、紹介するのは、第四編「転落の一途」の「鎌田交通課長の業績」の章のうち、「東京港開港の功績」と題する節である(二二九~二三二ページ)。ここで、「鎌田交通課長」とは、陸軍省交通課長・鎌田詮一大佐のことである。

   ……東京港開設の功績……
 東京の鉄道の玄関口は東京駅であり、旅客機の玄関口は羽田空港である。ところが、船舶の玄関口は横浜港を通ずる現状であったので、東京市長の大久保留次郎は、東京港開設を熱望して、いろいろ画策した。東京港ができあがると、最も打撃をうけるのは、横浜港である。したがって、横浜市長と神奈川県知事の猛反対をうけて、中々容易なことではないことを、大久保市長はよく判っている。だが、どうしても東京の将来発展のために、この計画を実現して、市長としての業績を残したかった。
 時は、軍の荦かな時代、軍が強硬に後押しをしてくれ、ば、目的を達成することができる、と大久保市長は考えた。この方面の担当は、陸軍省の交通課であった。課長は鎌田大佐である。市長は鎌田大佐の意向を打診し、«同を得るよう内々運動を試みた。
 ――大迫交通局長に旨を含め、鎌田大佐によい連絡筋をたどって、奔走するよう指示した。大迫局長は、腹心の、磯村英一庶務課長に相談したら、幸に、鎌田大佐の実弟で僧籍にある新倉海北師を知っているという。……新倉師は、池上本門寺派の権大僧正〈ゴンノダイソウジョウ〉であった。
 陸軍省交通課長、鎌田大佐に面会して、東京港開設の許可を受けることを、懇請したいから、紹介してもらいたい、と依頼した。
「うちの兄貴は、ガンコ者で、すじ道の通らないことは、例えどんなに運動費を使っても、絶対に受付ないが、国家的か、公益になることならば、積極的に面倒を見る性格である。今度の件は、東京市将来の大きい計画であるから、賛成するようにも思われる……」
 新倉権僧正は、磯村庶務課長を伴って、陸軍省に、実兄の鎌田交通課長を訪問した。
 磯村課長の説明を、鎌田課長は、無言でじっと耳を傾けて聞いた。
「…………」
「横浜市が猛反対することは、火を見るよりも明かなことですが、軍の力で、東京の将来のため、大久保市長は、ぜひ目的を達成したいから、交通課長の支援を得るよう、お願いして来い、と言いますので……」
 磯村課長は真剣な顔で、鎌田大佐に懇願した。新倉師は、〝兄貴がなんと返答するだろうか?〟と実兄大佐の返事を、興味をもって待った。――鎌田課長は、おもむろに言った。
「逓信省の関係局長の意向は?」
「神奈川県知事と、地元の代議士らが、絶対反対することは明瞭なことだから、これは必ず政治的にうるさいことになる。今、急に、そのような争いの渦中に巻き込まれることは避けたい、と言っている有様です」
 磯村課長は、真相を正直に述べた。
「官僚というものは、問題の起り易い件には近寄りたがらないものだ。といって順序として、逓信省を無視して軍が先き走ることもできない――大久保市長が、もう一度、ぢき談判したらどうです。わたしはその上で、考慮することにしよう」
 軍部さえ賛成してくれれば、思いきり活動ができる、と磯村課長は嬉しくなった。早速、磯村課長は逓信省へ車を飛ばした。そして、陸軍省交通課長が、東京港開港建設の趣旨には共鳴して、許可の意向と思う旨を伝えて、局長の賛成を求めた。
〝陸軍が、開港の許可を与えるというならば、わたしも賛同しませう…〟
 軍の威力、この件で、さすがにシブッタ局長も、あっさり開港にふみきった。
 この報告を受けた大久保市長は、多年の宿願を達成することができると、手放しで喜んだ。そして、正規に陸軍省に対して、「東京港開設計画許可方の申請書」を提出した。
 ――鎌田交通課長は、この件に関して、局長・次官・大臣の諒解を求め、難なく陸軍省としては、許可の印をすことになった。
 もちろん、東京市長の開港計画があることを知った横浜市長側は、知事や代議士を動員して、この案を潰【つぶ】そうと、猛烈に反対運動をした。まず、逓信省の担当局長を攻めたてたが、〝わたしの方は、どうでもよいが、陸軍省の意見が中心だから、そっちの方へ行ってもらいたい……〟と、体よく逃げる仕末である。
 それッと、陸軍省に向ったのは、横浜市長側の反対陳情団の一行である。局長や次官に面会を求めると、副官は、担当の鎌田交通課長に会え――と言う。
 鎌田大佐は、卒直に一団と面会して――
国家は今、非常のときである。一部地方の利害感情で、国家将来の大局を誤ることはできない。東京は今や世界三大都市の一つとなった。海上の運輸上、直接船舶を東京に入れることは、陸運の不便と経費と時間の節約となり、益することが多い。ニューヨーク市にも、港があるので、今日の繁栄となった。世界の大都市、東京が港を持つことは、自然の帰趨であろぅ……これに反対する何等の理由も見出すことはないであろう
 この公平な正論に対して、反駁することはできなかった。かつ、軍の威厳に打たれて、誰れ一人として、口を開く者もなかった。
 ――正に、東京都百年の計の一大開港決定の絶好の機会であり、また、折よき時機に、良き人物を得て、大久保留次郎市長は、金的を射ることゝなった。

 この文章は、鎌田詮一大佐(のちの鎌田詮一中将)の功績を過大に評価しているという印象もなくはない。しかし、もともと、この本は、鎌田詮一という人物の功績を強調しようとしているものなので、そのあたりは、やむを得ないとも言える。
 なお私は、この文章を読んで、「東京港」が国際貿易港として開港したのが、意外に遅かったことに気づいた。ここには、年月日が書いてないが、一九四一年(昭和一六)五月二〇日のことであった。ちなみに、五月二〇日は、「東京港開港記念日」にあたるという。

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