礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

映画『暗黒街のふたり』とギロチン刑の廃止

2015-04-29 07:01:44 | コラムと名言

◎映画『暗黒街のふたり』とギロチン刑の廃止

 昨年の夏に、『暗黒街のふたり』という映画を見た。アラン・ドロンとジャン・ギャバンが共演する一九七三年のフランス映画である。劇場で観賞したわけではなく、二束三文で入手したビデオを見たのである。
 この映画のラストは、アラン・ドロン演ずる殺人犯が、ギロチンで処刑される場面で終わる。この映画が公開された当時、フランスでは、ギロチンによる死刑執行がおこなわれていた。すなわち、この映画には、そうした「死刑」制度に抗議するという意図があったように思う。
 映画の冒頭は、ジャン・ギャバンが、刑務所の塀に沿って歩いているシーン。そこに彼のナレーションがかぶる。「フランスの刑務所ではまだ、死刑の執行にギロチンが使われる。小型の移動式のが執行地に運ばれるのだ」と。この言葉が、ラストシーンの伏線になっているわけだ。
 ジャン・ギャバンは、日本でいうと保護司のような地位にあり、銀行強盗で服役しているアラン・ドロンを、早期出所させる働きかけをおこなっている。この日も、アラン・ドロンに面会するために、刑務所を訪れたのである。
 ジャン・ギャバンの尽力で、アラン・ドロンは、早期出所をはたすが、出所後の彼を、執拗に追い回していた刑事がいた。ある日、アラン・ドロンは、この刑事と争い、ついに殺してしまう。
 裁判の結果は死刑。裁判のシーンも興味深かったが、紹介は省く。それでいよいよ、処刑のシーンである。ジャン・ギャバンも、処刑に立ち会っている。
 ギロチンの前まで連れてこられたアラン・ドロンは、理科室にあるような小さな木の椅子に座らされ、両脚を細い紐で椅子に固定される。手も後ろ手に縛られる。ワイシャツの襟の部分が、大きなハサミで切りとられる。さらに、両肩がムキ出しになるまで、ワイシャツは引き下げられる。この状態で、アラン・ドロンが、頭を前に突き出す。木枠で首が固定される。と、まさに間髪を容れず、巨大な刃が落ちてくる。
 この映画を見たあと、インターネットで調べてみたところ、フランスで、ギロチンによる最後の死刑が執行されたのは、一九七七年九月一〇日だったという。映画公開から四年後である。また、フランスが死刑制度そのものを廃止したのは、さらにその四年後の一九八一年であったという。この映画が、ギロチン刑廃止のひとつのキッカケになった可能性も否定できないだろう。
 ところで、昨日、紹介した木村亀二『死刑論』(アテネ文庫、一九四九)によれば、フランスは、第二次世界大戦勃発の時点において、ギロチンを二台しか保有していなかったという。そのうち一台は、大戦中に爆撃で破壊され、戦後、現存する一台がパリに据えつけられたという。
 こうしたことから、木村は同書において、フランスにおけるギロチン刑あるいは死刑そのものを「瀕死の刑罰」と位置づけた。しかし、この木村の「予想」にもかかわらず、ギロチン刑は、一九七七年まで延命したのである。なお、ジャン・ギャバンのナレーションによれば、『暗黒街のふたり』が製作された当時、地方の刑務所で死刑が執行される場合には、小型の移動式のギロチンが使用されたという。だとすれば、この移動式ギロチンは、戦後になって新たに作られたものということになるか。

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