礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

吉川英治の進言とヴァイニング夫人の招聘

2018-11-07 04:41:26 | コラムと名言

◎吉川英治の進言とヴァイニング夫人の招聘

 山田秀三郎著『罪悪と栄光』改訂版(大日本皇道会、一九七〇)を紹介している。本日は、その六回目。
 本日、紹介するのは、第六編「米将の寛容」の「民主々義の神髄」の章のうち、「日本復興とケーシー少将」の節にある「皇室の在方を吉川氏進言」と題する項である(三九七~三九八ページ)。

〇…皇室の在方を吉川氏進言
 国家の将来を憂する吉川英治氏、その純情熱血――こうと思ったら、じっとしていられない性格、その後、間もなく官内省大官を訪問して、種々進言した。その中の重要な一項目をあげると――
〝由来、日本の皇室は、世界的に、もっとも民主的な性格を持つことを誇りとした。それを、いつの時代にか、側臣のやり方の間違いから、非民主的となり、封建制の中心のように誤解を招くようになった。敗戦降伏した今日を機として、皇太子さまは、アメリカ権威者に委託し、真の民主々義を、身につける教育を施して頂くよう、懇請すべきである。そうしてこそ、アメリカ国民は、日本の皇室を信頼し、天皇制は、期せずして護持されるに至るであろう……〟
……降伏民族の厳しさを身に泌みて、甘く考えてはいけない。相手国に対しては、あくまで恭順――自国民は、敗れた原因を根本的に謙虚に反省し、再びその愚をくりかえさないように、上下一致して、新しくスタートすべきである。それには、まず、皇室が範を示し、真の皇室のありかたに、還るべきであろう。それを、アメリカに実証するためには、思い切って、皇太子さまを、アメリカに送ることが、皇室悠久の道となるであろう――
 三河は小国、今川・織田の強国の間にあって、立つ瀬がない。弱小国の哀愁、家康は七歳にして、両国の人質となって辛酸をなめた。幼時よりのこの苦労が、逞しい人間を作りあげ、徳川の基礎をつくった。
 今、皇太子さまも、異国でご苦労されることによって、皇室のいしずい〔ママ〕となる。――この吉川英治氏の進言は、急には実現しなかったが、その示唆によって、アメリカより英語教師、ヴアイニング夫人を招聘【へい】した。このことが、日米親善に、非常に有効的であったことは、周知の通りである。
【二行アキ】
 人間の自由平等、民主的素養を身につけるケーシー少将の態度に、強く感銘した日本の文豪吉川英治氏――その明敏は、直ちに皇室の在り方について真剣に考えて、進言したことが、如何に皇室の存続に、好結果をもたらすことになったか、計り知れないものがあった。
 また――
 ケーシー工兵部長の親心、日本復興に付、製鉄とセメント生産に助力し、廃墟の中から生産工場建設に、政府当局を激励して、援助の手をさし延べたことは、戦後の日本経済成長に、どのぐらい役立ったか、これもまた特筆せねばならない。――工兵出身、技術畑の鎌田銓一氏との名コンビと、その相互の信頼感は、日本復興に拍車をかけ、画龍天睛となつた功績も少なくない。

 作家の吉川英治(一八九二~一九六二)については、よく知らないが、ウィキペディア「吉川英治」の項を見ると、敗戦直後の政治的活動については、まったく記載されていない。山田秀三郎の述べていることが事実ならば、これは、かなり重要な証言だと思う。

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