礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

三角寛・山田秀三郎・鎌田銓一

2018-11-02 01:02:31 | コラムと名言

◎三角寛・山田秀三郎・鎌田銓一

 昨日、書棚を整理していたら、山田秀三郎『罪悪と栄光』(大日本皇道会)という本が出てきた。一九七〇年(昭和四五)一〇月発行の「改訂版」である。函なし、カバーなし。背表紙に、「敗戦時の/裏面秘録」という角書きがある。
 この角書きとタイトルを見ただけではわからないが、本書は、鎌田銓一陸軍中将(一八九六~一九七五)の生涯と功績について述べた本である。
 この本の原版は、おそらく、一九六七年(昭和四二)に出た『罪悪と栄光』(鎌田銓一先生秘録刊行協賛会)だと思う。原版の内容は確認していないが、インターネット上で、その画像を見ると、函背表紙に、「鎌田 元/中将秘録」という角書きがある。
 大日本皇道会版(改訂版)の五二四ページには、「著者・山田秀三郎略歴」というものが載っている。以下に、これを紹介してみよう。

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    著者・山田秀三郎略歴
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◇明治三十六年〔一九〇三〕、秋田県能代市に生る。
◇中大中退、日本医事新報に入社。同時に入社した三角寛博士と旧友。
◇昭和初期、「映画教育」事業に再念し、京城、新京、上海に支社を設け、大陸にも映画教育の普及を計る。

◇海軍省将官の信頼で、映画巡回班を独占計画し、日活と松竹の困窮時代を救援す。
◇ PL教団教主、御木徳近氏の窮迫時代を「映画教育」事業に依り支援す。

◇終戦後
 福祉事業に関心を抱き、高松宮総裁の慶福会の基金を作り、厚生省社会局に協力寄与し、「財団法人日本民生文化協会」創立者となる。

◇吉川英治氏と「人作り座談会」を催し、その秘話「世相心眼」を執筆刊行す。
◇公安協会理事長として、非行青少年の防止に奔走す。
◇鳩山一郎氏の側近となり、鳩山首相訪ソを進言し、比島賠償の将来の重要性を説く。

◇「日教組の猛反省を促す」論評を発表す。
◇ニューヨーク世界博に武道派遣を計画す、アメリカ大使の協賛を得て、大いに成果をあげ、日本武道精華の海外発揚に貢献す
◇中村梅吉文相に対し、「受験勉強―強行の即時廃止、建国記念日の設定、優秀映画に褒賞制度の創設」等を極論進言す。

◇「日本現状打開刷新の具体化策」論文を、鎌田銓一氏に提出し、それが機縁となり、本書を著した。

 この略歴を見て、まず注目されるのは、三角寛〈ミスミ・カン〉と同時に日本医事新報に入社した、と述べていることである。山窩小説家の三角寛(本名・三浦守)が朝日新聞社に入社したのは、一九二六年(大正一五)三月とされるが、それ以前の三角の履歴は判然としないという。しかし、この山田秀三郎の略歴によって、三角が、朝日新聞社に入社する以前に、日本医事新報社に在籍していた事実がわかる。ちなみに、三角寛(一九〇三~一九七一)と山田秀三郎(一九〇三~一九九二)は、同年生れである。
 もうひとつ、この山田秀三郎という人物は、たぶん「扶桑教ひとのみち教会」の信者、もしくは関係者であろう。なぜなら、三角寛、御木徳近、吉川英治といった名前が出てくるからである。
 御木徳近〈ミキ・トクチカ〉は、「扶桑教ひとのみち教会」の教祖だった御木徳一〈ミキ・トクハル〉の長男で、「扶桑教ひとのみち教会」の後身であるPL教団の教主として知られる。また、吉川英治や三角寛は、「ひとのみち」の信者で、いわゆる「ひとのみち文士」として知られていたからである。
 なお、『罪悪と栄光』改訂版の発行元である「大日本皇道会」については、今のところ、よくわからない。会長は美平晴道で、その本名は三平伊之助であるという。

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