礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和天皇のマ元帥訪問と吉川英治

2018-11-08 03:46:21 | コラムと名言

◎昭和天皇のマ元帥訪問と吉川英治

 山田秀三郎著『罪悪と栄光』改訂版(大日本皇道会、一九七〇)を紹介している。本日は、その七回目。
 この本の紹介は、昨日で切り上げようとも思ったが、よく読んでみると、まだまだ紹介したい部分がある。とりあえず、本日は、第六編「米将の寛容」の「天皇制重大岐路」の章のうち、「天皇とマ元帥の密約?」の節の一部を紹介してみたい(三五九~三六二ページ)。

   ……天皇とマ元帥の密約?……
【略】
 高輪の高松宮邸には、鎌田銓一氏は、一週間に一度は、必ず参上してお目にかかり、GHQの情報を伝えた。――この機密は、絶対に外部に洩れないように、細心の注意を払った。この鎌田情報は、日夜ご心配遊される、陛下に対して、高松宮さま〔高松宮宣仁親王〕は、遂次ご報告申上げた。
 世界注視の的の中に立っている陛下のご言動は、実に重大であったので、側近に対しても、なお、政府要人に対しても、ご意思のご発言には、深く注意された。それで――高松宮さまを、唯一のお頼りとして、ご相談された。高松宮さまも、その重責を感じて、自らのお言葉は、非常に少なかった。聞く方が多かった。
 高松宮さまは、鎌田銓一氏の外に、もう一人、信頼する人物がいた。それは…文豪吉川英治氏であった。
【一行アキ】
 ここで、吉川英治氏の皇室観を、特筆せねばならない。
◇日本の皇室は、最も民主的で、君臣水魚の交りが、本来の姿である。殊に明治大帝はそうであったので、明治聖代が生れた。
 御前会議のとき、維新の元勲、西郷・大久保・木戸ら、明治天皇の前で、勝手な議論を初める。しまいには、つかみ合いの喧嘩になる有様であった。〝御前の前を忘れたか!〟と、他の重臣が注意する声に、ハットわれに返える。それを大帝は、ニコニコしてご覧になることが、しばしばであった。
◇日本の大神社は、数千年も続くものが少くない。それは質素な白木造りであり、金銀財宝の飾りがないからである。
 尊崇する神社に、盗むような財宝がないから、戦禍にかからず温存された。
 日本の皇室も、それと同じでなければならない。皇室財産を特に決めることは、民衆に垣根を設けることである。
 日本は皇土であるという大乗的見地で、皇室の土地や山林を特定すべきではない。財物、不動産を所有する考方は、庶民の考方であって、尊厳なる存在には、私有財産は必要でない。側近のミミッチイ考方で、威大崇高なる皇室に、計算できるような物質を所有させるべきでない。このために、共産主義者は、皇室の尊厳を軽視し、財閥と同視して、反感を抱くようになる。
◇皇室問題は、世界の注視の的となっている。これこそ、真の皇室の民主的在り方を示す好機である。
 敗戦国民は、飢餓に瀕している現状――
 陛下は、マッカーサー元帥に対し、皇室の財宝は、悉く差上げるから、国民の困窮を理解の上、援助してもらいたい、と懇請することが肝要である。マッカーサー元帥は、世界的名将である。必ずや皇室の真意を認識し民主的天皇の存在を、見直すであろう――
【一行アキ】
 果然――
 日本の尊厳、天皇は動いた。九月二十七日突然、天皇ご自身、連合軍最高指揮官、マッカーサー元帥を訪問された。
 すわッ!世界的会談をスクープしよう、と世界の記者らは、いろめきたったが、両権威者、黙して語らず、声なき記念写真一葉が、各国新聞のトップを飾つたにすぎなかった。外国記者団は、ペンを投げて、ビックニュースの内容ゼロを欺じた。
――世界の権威者に、見かけ倒しの人物が少なくない。今、宮城の雲の上より降り来つた人間天皇は、すべてのベールを、かなぐり捨てて、素朴ありの侭の人間として、マ元帥に会見した。――数千年伝統の王者の風格と、その立派な人間性、俗人―一朝一夕の修業では、身につけ得ない深いものを、自然に備えていることを、名将は新しく感じたことであろう――
〝余の一身は顧ない、財宝を、ことごとく差しだすから、どぅぞ国民の飢を救つて頂きたい……〟
 戦争宣言したことを、日本天皇は弁明のために、余に面会を希望したことと思っていた。それが――まったく思いもよらないお言葉が、口から洩れたので、マ元帥は、まじまじと、陛下のお顔を見つめた――そして、通訳の間違いではないか、と念を押したほどであった。
――連合軍と、極東委員会、さらに、アメリカ国内与論は、天皇の処断に対して、マッカーサーに処断を強【し】える〔ママ〕ものが多い当時のことである。悪感情の冷却期間がいる――しばらくは、世論に惑わされず、じっと口を固く閉じて、時が到るまで忍従しなければならない。権威者の立場はつらい……
 陛下は、マ元帥との会見の内容については、元帥との約束を固く守られて、口を緘【かん】して語られなかった。また、元帥を心から尊敬し、元帥の幕僚であることを誇りとする部下軍人らは、元帥の胸中を推察し、日本天皇問題にふれることを、タブーとした。
 したがって、外国記者達が、このベールの裏をのぞいて、世界に特報を流そうと、如何に暗躍しても、まったく無駄な努力となった。
――日本の政府要人も、ただ気をもむだけで、GHQの天皇に対する方針を、知ることができなかった。

 ここで筆者の山田秀三郎は、昭和天皇のマッカーサー元帥訪問の背景には、高松宮宣仁親王を介した作家・吉川英治の進言があった可能性を示唆している。しかし、その言いまわしは、非常に慎重である。ところで、吉川英治は、このあたりのことについて、何か書き残してはいないのか。

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