礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

それならば、なぜ判決を急ぎ、証拠を隠滅したのか

2018-10-29 00:36:44 | コラムと名言

◎それならば、なぜ判決を急ぎ、証拠を隠滅したのか

 昨日の続きである。今月二四日、東京高等裁判所において、「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決が言い渡された。原告側の敗訴であった。
 その判決文を入手し、一読したところ、奇妙な「なお書き」があった。再度、引用すれば、次の通り。

 なお,第1審原告は,ポツダム宣言受諾後に担当の検察官,予審判事及び裁判官が治安維持法を適用したことを違法と主張する。しかしながら,ポツダム宣言受諾後も,昭和21年に日本国憲法の各種草案やこれに対する進駐軍(GHQ)の意見が明らかになるまでは,ポツダム宣言第10項(日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障礙ヲ除去スヘシ。言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ。)がどのように具体化されるかは,予想できなかったというべきである。そして,進駐軍の中核を構成するアメリカ合衆国においては,当時においても共産主義に対する抑圧的な政策がとられており,共産主義抑制策が多少は残ると考えることも,昭和20年9月の時期においては全く根拠を欠くとはいえなかった。昭和20年8月や9月は,日本国憲法施行前の時期であることはもちろん,日本国憲法草案の議論が始まる前の時期であって,占領政策が具体的にどのように展開されるのか,当時の日本人には全く予測がつかなかった時期である。言うまでもなく,治安維持法に関しては,昭和20年10月15日に全廃されたから,その後にこれを適用すれば違法なことは明らかである。しかしながら,当時は激動の時代であって,全廃の1か月前である昭和20年9月の時点においては,治安維持法が今後どのように改廃されるかが予想できなかったとしても,やむを得ないところである。……

 ここで東京高裁は、「昭和20年9月の時点における担当の検察官,予審判事及び裁判官による治安維持法の適用が,ポツダム宣言受諾後であるとの一事をもって違法になると断定するには無理がある。」ということを言いたかったのである。それを主張するために、アメリカ合衆国を中核となった進駐軍が、「共産主義抑制策」を採る可能性も考えられたと述べている。
 しかし、そのように言ってしまった場合、東京高裁は、控訴人側から、ただちに、次のような反論が出ることを、予想しなかったのか。
「それならば、何も判決を急ぐ必要はなかったし、裁判のあと、書類を焼却して証拠を隠滅する必要もなかったではないか。」
 少し、問題を整理しておこう。二〇一七年一二月四日付の「控訴人第4準備書面」において、森川文人弁護士ほか控訴人ら代理人は、次のように述べている(一二~一三ページ)。

 横浜事件の裁判記録は裁判所自らが関与して焼却されたことはすでに明らかといってよい(民事訴訟記録保存規定により、判決原本については永久保存が求められ、刑を言い渡した裁判記録についても一定の保存期間が定められていたにもかかわらず、裁判所は記録を焼却している)。
 敗戦直後あるいは敗戦必至を見越した敗戦間際の書類の焼却指示については、秘密裏ながら閣議決定を行っていたことに加え、司法省が司法行政権を掌握して行政優位の体制となっていた当時の裁判所機構などからすれば、裁判所も閣議決定に基づいて資料の焼却に走ったことは明らかである。
 しかしながら、裁判所が判決原本及び訴訟記録を焼却したという行為は、「上からの指示があったのだから仕方がない」などという弁解を一切容れることを許さない、言語道断の行為であり、裁判所の本分を自ら放擲した甚大な違法行為である。裁判所が治安維持法に基づき、横浜事件の各被告人に有罪判決を下しておきながら、その関係記録を焼き捨てたということは、裁判所自らが「この事件(横浜事件)の訴訟記録を残しておいてはまずい」と判断していたということである。ポツダム宣言の受諾によって、大日本帝國の統治機構と治安維持法をはじめとする治安立法が根底から覆ることを、当時の横浜地裁の裁判官たちは当然ながら分かっていたからこそ、横浜事件における治安維持法違反被告事件の裁判記録を残しておくことは後日問題を招くと考え、焼却するしかないと判断したということだ。
 この行為こそ、裁判官の認識の内容を示すもっとも重大な事実である。

 この準備書面における控訴人側の認識には極めて説得力がある。東京高裁は、この控訴人側の認識に対し、「担当の検察官,予審判事及び裁判官」が、ポツダム宣言受諾後も、「共産主義抑制策が多少は残ると考えることも,昭和20年9月の時期においては全く根拠を欠くとはいえなかった。」旨の認識を対置したのである。また、「当時の日本人には」、「ポツダム宣言第10項」が「どのように具体化されるか」、「全く予測がつかなかった」とも述べている。
「ポツダム宣言第10項」が、どのように具体化されるのか。――たしかに一般の日本人には、これは全く予想がつかなかったであろう。しかし、「担当の検察官,予審判事及び裁判官」には、「ポツダム宣言の受諾によって、大日本帝國の統治機構と治安維持法をはじめとする治安立法が根底から覆る」ということが、容易に予想できたはずである。だからこそ彼等は、判決を急ぎ、関係記録を焼き捨てたのである。
 今回の東京高裁判決は、当時の「担当の検察官,予審判事及び裁判官」が、「共産主義抑制策が多少は残る」と考えていた可能性があるなどという、何の説得力もない「なお書き」を加えたことによって、かえって、控訴人側の認識の正しさを印象づけることになってしまった。
 昨日は、この判決の「なお書き」を「奇妙な」と形容し、「わざわざ言わなくてもよかったもの」、「裁判所としては、言わないほうがよかったもの」と評した。さらに言えば、この「なお書き」は、被控訴人(国)にとっても、「言わないでほしかったもの」ではなかったのか。

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