36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

自己犠牲は不幸の素(その1)

2015-11-21 00:22:34 | 意識を整える

 仕事でも日常生活でも

 「あなたのためにこれだけやったのに
 なんで自分は報われないのだろうか?」

と考えることはありませんか?

 最近感じているのは

 自分自身がこれだけやっているのに…
 自分は犠牲になっているのに…
 せっかく自分が我慢したのに…

といった考え方をすると不満ばかり募るのではないかということです。

 
 確かに自分自身の努力や献身が無駄になると
腹立たしい気持ちにもなるでしょうし、
もうちょっとパートナーやチームメイトがしっかりとやっていれば、
と「タラレバ」を言いたくなることもあるでしょう。
また、自分がなにかアクションを起こした分だけ
見返りが欲しくなるというのも人間としてはやむを得ないところです。



 しかしながら、こういった自己犠牲的な思考回路ばかりでは
常に周囲の環境や他人に対して文句ばかり言い散らす人になりかねません。
不平不満が心に渦巻いている状態ではよい結果はなかなか出ませんので、
さらにフラストレーションが溜まっていく、といった悪循環も想定されます。
自己犠牲精神が不幸の連鎖を呼ぶ可能性すらありえますね。



 そこで、Ozakiは多少時間や労力を特別に割いたとしても、

 「これは好きでやっているんだから、見返りやよい結果は求めない」

と思うようにしています。

 徹夜で同僚や後輩のために作業をしたとしても
 「好きで徹夜しているのだから」。
  
 家族や共同生活相手の分も家事をやったとしても
 「気分転換のためにもやってよかった」。

 他人の振る舞いが気になるが、波風が立たないよう我慢したとしても
 「なんとなく黙っていたい気分だしな」。



と物事の捉え方を変えるということです。
不思議なことに自己犠牲で行動を決めた、ではなく、
自分が好き勝手に行動を決めた結果誰かのためになっていた、
という考え方をすると心がスッと軽くなることがあります。
自分自身が好きでやっているのですから当然と言えば当然ですよね。

 自己犠牲をしたと捉えてしまうとどうしても

 自分は相応の対価(犠牲)を払ったのだから
 今度は相手からその見返りを受け取って当然であろう

といった気負いが生じるのではないかとOzakiは仮説を立てています。
そういった気負いを止め、何をするのでも自分が好きに決めたのだから、
自分が面白がってやったことだから、と考えられるようになれば、
おのずと世界観が変わり、多少やってあげ損が出たとしても

 「ま、いっか」

と思えるのではないでしょうか?

 
 ビジネスの世界では

 「ギブ&テイクではなく、
 ギブ、ギブ、ギブ&テイクくらいでちょうどいい」

という言い回しがありますが似たような考え方かもしれませんね。



 (次回に続けます)