K-CUSTOM~「EBBRO-エブロ・hpi」ミニカーマニアでいこう!~

EBBRO-エブロ・hpiのミニカー紹介、愛車にまつわるエトセトラ
クルマ、バイク、チャリ。ヒトと同じじゃつまらナイ!

Z旗の下に・・・「高級GT」

2006-01-12 01:15:39 | KYOSHO・京商
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場しました。
フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車です。
開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念がありました。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでは並々ならない苦労がありました。
本日紹介するのは京商1/100フェアレディZコレクション「300ZX HZ31」です。

1983年9月16日、新型フェアレディZが発表された。「Z」にとって2度目のフルモデルチェンジであり、これがZ31型フェアレディZです。
当時はスポーツカーの進化はめざましい時代であり、歴代のフェアレディは常にその中にいました。
すでに100万台の生産ラインを突破し、5年1ヶ月ぶりにフルモデルチェンジを受けたフェアレディZは、伝統の直6を捨て全車V6エンジンへ。全グレードにターボチャージャー(国内仕様)を搭載していました。

当時の広告では、自信あり気な「較べることの無意味さを教えてあげよう」とのキャッチコピーが踊り、VG30ETを搭載するトップグレード300ZXの国内最強の高性能ぶりをアピールしていた。もちろん高性能なのはエンジンだけではなく、シャシー面も超高速域での剛性をテーマに開発されました。
フェアレディZは技術の日産のフラッグシップカーとして先代よりも大幅に進化を遂げる事となりました。

このZ31型フェアレディZの開発コンセプトは、
1.伝統のZフォルムを継承しつつも高速域での性能向上のために空力特性を徹底的に追求し、流麗かつ精悍なスポーツカー・スタイルを創造する。
2.世界トップレベルの動力性能の実現。
3.抜群の操縦性、走行安定性、および制動性能の実現。
4.快適性、居住性の向上。
5.高い安全性。
6.経済性の向上で社会的要請に応える。
7.新機構、新技術の採用。

具体的には、CD=0.31というエアロダイナミクス、全車V6ターボによる圧倒的な速さ、3ウェイアジャスタブルショックなどを特徴としていた。
このZ31型フェアレディZのスタイリング全体については、Zがである事が明らかに判るように配慮しながら変わったという印象を与えるよう努力されたと言います。
新しいボディスタイリングは伝統的なイメージを継承しながら、先の2代に比べて直線を基調としたデザインとなったのが特徴です。
先代のS130と同様,2シーターとそれを原点とした2by2の2種類のボディが当初より全グレードにラインナップされていました。

2by2は2シーターに比べてホイールベースで200mm長いですが、前後のオーバーハングは2シーターと同じ。重量に関しては2シーターに対して300ZXで40kg、200ZGで35kgの増加となっており、全高では後部座席の頭上空間を確保する為に2シーターより15mm高くなっています。
従来のイメージを残しつつ新しいZのスタイルとして引き締まった感じを持たせてあります。ライトには特徴的なパラレルライジングヘッドランプを採用。収納時には低く構え、見据えるような精悍な表情を見せます。

インテリアは直線を基調とした当時の最先端モードとなり、メーター回りにスイッチ類を集中配置して視認性、操作性の向上を図ったほか、メーター照明はオレンジ色となっており、夜間のドライブでの疲労を軽減しています。
先代に比べて室内幅が20mm拡大されたことでまず空間そのものが拡大され、シートのスライド可能量も増えています。ラゲッジスペースも拡大され、使い勝手も大幅に向上。
3代目フェアレディZは、スポーツカーである高級車という快適な車に生まれ変わっていました。

Z31は「ヨーロッパの高性能スポーツカーを凌駕する走りの実現」を目標として開発され、その美しいスタイルと圧倒的なパフォーマンスで新世代のスポーツカーとしての最高のデビューを果たしました。が、Z31はスポーツカーとしての大きな欠点とも言える点を持っていました。
スタイル、動力性能こそ欧州を向いていましたが、最大のマーケットであるアメリカ市場を捨て切れずに、足廻りを従来のグランドツーリングカー的な味付けにしてしまったことです。その為Z31の特徴は高速直進安定性と快適性に集約されており、直進こそ速いのですが、コーナーではその大柄のボディを持て余し残念ながらそれはスポーツカーと言うよりもむしろ高級GTカーというイメージが強くなってしまいました。

しかし、230psの実力は名実ともに当時国産最強であり、高いレベルでバランスしているシャシー特性と空力特性はその名に恥じないポテンシャルをZ31にもたらしています。

Z旗の下に・・・「最高の技術」

2006-01-11 00:11:51 | KYOSHO・京商
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場しました。
フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車です。
開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念がありました。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでは並々ならない苦労がありました。
本日紹介するのは京商1/100フェアレディZコレクション「280Z-T HS130」です。

S130は55万台以上の大ヒットを放ったS30の後継として、1978年から生産が開始されました。高速で長距離を移動する機会が多い北米をターゲットにしたモデルで、先代以上にGTの色が濃くなりました。
エクステリアは好評を博した初代S30を後継し、ロングノーズ ショートデッキはさらに強調・洗練されています。
ボディパネルは完全な再設計となり、空気抵抗係数も20%近くの改善を達成する事が出来ました。高速域での安定性と乗り心地を高める為にリアをストラットからセミトレーリングに変更。タイヤも15インチの60扁平タイヤを装着しました。この60扁平タイヤの採用は日本車でも初となるとても衝撃的なものでした。
内装もより豪華に仕立てられ快適性の向上が図られており、脱着式のT-barルーフを採用しました。こちらも日本車初となる装備でした。

エンジンも従来の2.8リッターを頂点にするNAエンジンには電子制御が施されました。
加えて2.0リッターエンジンにはターボを追加し、当時の厳しい「53年排出ガス規制」の対応でのパワーダウンを最小限に食い止めました。
この様に2代目モデルは決して先代モデルの焼き直しで決してない事が伺えると同時に、当時の日産が持つ最高の技術と愛情が注がれたモデルだと断言できるでしょう。

快挙

2006-01-10 00:04:07 | EBBRO・エブロ
世界には耐久レースの極致とも言える24時間レースがいくつかありますが、中でもフランスのル・マン。ベルギーのスパ・フランコルシャン。そしてアメリカのデイトナは三大24時間レースとして有名です。
ニッサンチームはこれらの名だたる24時間レースに挑戦し、ル・マンこそ総合3位(1998年)に止まったものの、スパ・フランコルシャンでは1991年にグループA仕様のスカイラインGT-Rで優勝を飾っています。
そしてデイトナでは、1992年には長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男組が初出場にして優勝を実現しています。
本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「ニッサン R91CP デイトナ24時間1992年」です。

デイトナ24時間への出場にはいくつかの伏線がありました。1990年のル・マン24時間において、優勝候補と目されたニッサンはワークスカー5台(ヨーロッパのNMEが2台、アメリカのNPTIが2台、NISMOが1台)を投入しながら敗退。ニッサン勢の最高位はNISMOの5位。惨敗でした。
1991年ル・マン24時間は車両規定変更のためにニッサンワークスは出場を見送り、NISMOは1990年ル・マンの振り返りとユニットの開発テストを狙いとして、Cカーでも勝負のできるアメリカ最大の24時間レースであるデイトナ24時間をターゲットに絞ったのでした。
しかし、1990年後半には湾岸戦争が勃発。1991年のデイトナ24時間は、出場を見合わせるしかありませんでした。そして翌年の1992年、待ちに待った機会が訪れたのでした。

R91CPはそもそもJSPC(全日本スポーツプロトタイプカー選手権)をターゲットとして、100%ニッサン自製のCカーとして1991年に誕生しました。それまでのニッサンは、「マーチ」や「ローラ」といったイギリス製シャシーに自社製エンジンを搭載して戦ってきましたが、高性能なパワーユニットに見合うバランスのとれたマシンとするため信頼性と耐久性をさらに追求したシャシーを自製する道を選んだのでした。
フルカーボンコンポジット製モノコックに、独自の空力解析から生み出された流れるようなラインのボディが被せられました。

エンジンは90年のR90CPに搭載されたV型8気筒DOHCのVRH35Z(85×77mmのボア&ストローク、3496cc+IHI製のツインターボチャージャー)を踏襲。パワーは800ps/7,600rpm、最大トルクは80kg-m/5,600rpmという数値を発揮しました。
強大なパワーをミッションにつなぐクラッチは、当然ながらトリプルプレート(カーボンクラッチ)とし、トランスミッションはVGCの5速を搭載。
また最高速が400km/hに達しようかというCカーには強力な制動力を要求されますが、ブレーキはR91CP専用開発のベンチレーテッドのカーボンディスクを採用していました。

そして1991年のJSPCでは、星野一義/鈴木利男組のカーナンバー23のカルソニックニッサンR91CPが7戦中3勝を挙げてチャンピオンを獲得。
R91CPのデイトナ仕様は、タイヤをグッドイヤーに変更した以外は基本的にはJSPC仕様と同じ。但しエンジンは24時間という長丁場の耐久仕様ということからパワーを680psに抑えられていました。また、108dB以下という音量規制によってマフラーに消音器を取り付けているのもデイトナ仕様の特徴です。
競技規則では1991年のデイトナで採用された燃料給油の時間規制も1992年にはなく、最低重量も930kgと問題なくクリア。これで、IMSA-GTP(アメリカのスポーツプロトタイプカー最高峰のクラス)勢相手にCカーの本領が発揮されることになりました。

2月1から2日にかけて行われた決勝レースでは、ゼッケン23のR91CPをドライブする日本人組は予選3位からスタート。長谷見選手がスターターを務め、何と1周目にトップに!
途中、ラジエターのコアに砂が詰まってオーバーヒートの兆候を見せたが、これもピットインごとに水をかけて洗い流し、ことなきを得ました。
23号車にプレッシャーをかけ続けてきたヨースト・ポルシェも2日早朝にリタイアし、23号車は2位に浮上したジャガーXJR-12Dに9周の差をつけて、それまでのレース周回数記録(90年ジャガーの761周)を更新する762周で総合優勝を獲得。
日本製のマシンと日本チーム、そして日本人ドライバーが初めて達成した快挙となりました。
しかし、結局ル・マン24時間への参戦は見送られた非運のマシーンとなってしまいました。

ちなみにこのモデル、初版品に限り二箇所のエラーがあります。
1.フロントカウルにニッサンのマーク
2・サイド出しのエキゾースト
この二箇所が実車とは異なるため、日産からのクレームで改修されました。
この部分で初版品か二期生産品か判別することが出来ます。

Z旗の下に・・・「逆輸入」

2006-01-09 18:37:31 | KYOSHO・京商
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場しました。
フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車です。
開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念がありました。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでは並々ならない苦労がありました。
本日紹介するのは京商1/100フェアレディZコレクション「240ZG HS30H」です。

1971年フェアレディZに輸出用の2400cc、L型エンジンを搭載した日本仕様のフェアレディ240Zが発売され、同時に産まれたのが240ZGです。
軽快な印象のデザインを特長としロングノーズとオーバーフェンダーはよりいっそう洗練された印象を与え、2.4リッターのトルク溢れた走りと精悍なルックスで国内を席巻しました。240ZGはフェアレディZの最高峰モデルとして羨望の的となりました。

240ZGは意外と悪かったS30の空力特性を改善するためにオーバーフェンダーと Gノーズを身にまとったスポーツモデルでした。その人気の程は凄まじく、71年からは国内でも販売されることになりました。
国外ではやがて排気量を上げていき260Z、280Zと進化していきました。
S30はレースでも活躍し、国内ではZ432と240ZGが多くレースで勝利を飾り、国外ではラリーで大活躍しました。510ブルーバードの後を継いで出場した71年のサファリラリーでは240Zが総合優勝・クラス優勝・チーム優勝という3冠の偉業を達成しました。70年、71年と2年連続の3冠を達成しました。

Z旗の下に・・・「進化」

2006-01-06 23:01:51 | KYOSHO・京商
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場しました。
フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車です。
開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念がありました。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでは並々ならない苦労がありました。
本日紹介するのは京商1/100フェアレディZコレクション「Z432 PS30」です。

Z432(PS30型)は、1969年に日本国内向け2リッターモデルとして登場した初代フェアレディZのトップグレードです。
初代フェアレディZのコンセプトは、
1.レースラリーに十分戦えるだけの素地を持ち、性能の極限を追求する。
2.乗用車並みの乗り心地で実用性をもたせセダンとしても十分使える。
3.大量生産可能な、価格も安く重量も適当なものとする。
4.フェアレディの主要市場であるアメリカに十分適合したものとする。
との設計方針から開発されました。
トップモデルであるZ432には、レーシングマシーンR380に搭載されたDOHC直列6気筒エンジン「GR8」のデチューン版「S20」を搭載した。
ちなみに「4バルブ」「3キャブ」「2カムシャフト」の「S20」を搭載している「Z」なのでZ432と命名されています。
レーシングマシーンの「心臓」持つこのモデルは最高速210km/h!!SS1/4マイル15.8秒をマークしました。

ちなみにS20型エンジンとは、
多球形式燃焼室、わが国唯一の4バルブ・V型弁配置・クロスフローポートを持っています。
アルミシリンダーヘッドの採用により、吸入効率、熱効率が良く、かつ軽量です。
国産初のフル・トランジスタ式点火装置の採用により、低速時から高速時まで安定した火花が得られるなど、当時の最先端技術が惜しみになく投入されていました。

Z旗の下に・・・「誕生」

2006-01-05 22:33:16 | KYOSHO・京商
昭和45年、一台の日本製スポーツカーが登場しました。
フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売り上げを記録した伝説の名車です。
開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念がありました。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでは並々ならない苦労がありました。
本日紹介するのは京商1/100フェアレディZコレクション「Z-L S30」です。

1969年にSP/SRシリーズの後継として登場し、初めて「Z」の称号を冠されたのがこのS30でした。北米市場をメインターゲットとしたS30は衝突安全性と全天候性を考慮する必要があり、その結果高い評価を得ていたSP/SRのオープンカーイメージと決別しクローズドボデイとなりました。ちなみにS30のボデイデザインはジャガーEタイプを手本にしたとも言われています。
日本国内では2リッターモデルを投入しました。
S30はレースでも活躍し、国外ではラリーで大活躍しました。

この初代Zは9年間の生産期間で何と約50万台以上も生産されました。その内9割が輸出されたそうです。日産のスポーツカーに対する志を世界に知らしめ、ブランドイメージを高めた功労車と言っても過言ではないと思います。