自由・気ままなぶらり散歩&散策あるばむ Ver. 2.0

毎日のぶらり日帰り散歩、散策で出会った風景、景観、鳥見、四季の花々を瞬撮して、日記、アルバム風に整理した備忘録帳

日本最大級の「32段・1,200体のひな飾り」 更新します。

2019-03-07 | 日記
おはよう、
今日(190307)は、新たな写真画像を3枚します。由緒ある、社寺のようです。
剣術(けんじゅつ)は、日本における刀剣(日本刀)で戦う武術です。
活人剣(かつにんけん)」は、
人を活かす剣。剣は元来、人を殺傷するためのものであるが、その用い方によっては、人を活かすものともなること。また、その剣の道。禅の殺人刀・活人剣からきたことばで、禅僧が修行者を導く際に、活殺自在の働きを刀剣にたとえて示したものである。この言葉が、剣術世界でも用いられるようになった。柳生流には「一殺多生の剣」というのがあるが、一人の悪を断ち一人を殺しても多くの衆生を生かすのが活人剣であり、いわれなき殺生をするのが殺人刀である。 (出典元:ネット情報)
活人剣」です。剣・台座制作:宮田亮平(東京藝術大学学長)
台座は、可睡齋を代表する花であり、中国でも愛されている牡丹と、 作者が制作活動のテーマとしているイルカを題材とし、「日中友好の架橋」となることを願って制作された。(牡丹の花びらは海の波、イルカは海を越えて行き交う日中の人々)
陸軍軍医総監医学博士佐藤進」略伝:
明治時代、順天堂第3代堂主佐藤進は、平時には順天堂の院長を、戦時には軍医総監として
活躍し、その名を全国にひろめた。又、明治39年の日韓協約調印後は、勅命を受け韓国の衛生責任者となり、伝染病の征圧、大韓医院 (現ソウル大学医学部)の創設など、国際的に活躍した。明治32年発行の「太陽臨時増刊号」(博文館刊)に、読者が選んだ「明治の十二傑」が掲載されるが、政治家 伊藤博文、教育家 福沢諭吉とならんで、医家 佐藤進が選出されている。(出典元:ネット情報)

殺人刀、活人剣」とは、
禅宗における修行者の指導方法をあらわす言葉です。剣法に例えたもので、相手の誤った心や行いを厳しく制するのが「殺人刀」、逆に相手を受け入れ、進ませるのが「活人剣」です。人を指導する立場にある人は知っておくべき言葉です。正しい使い方を含めてです。
活人剣碑
写真撮影のもの           ネット情報からのDL写真
 
もう一つは、精進料理は特徴であり、何時かは頂きたい料理の一つです。


おはよう、
今日(190211)は、娘の旅行での写真が送られてきました。驚くような規模、豪華さが伝わってきます。小生も来年は行ってみようと思います。
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山号   萬松山(ばんしょうざん)
寺院号  可睡齋(かすいさい)徳川家康公ゆかりの禅寺「萬松山可睡齋」
寺院名  萬松山 可睡斎
正式名称 秋葉総本殿 可睡斎
     萬松山 可睡齋
本尊   聖観世音菩薩
札所本尊 遠州三十三観音霊場三十番札所 可睡斎
本山   大本山永平寺(福井)・大本山總持寺(横浜)を両大本山とし、總持寺の直末寺院です。
宗派   曹洞宗(禅三派の第一)
コメント 全国秋葉信仰の総本山です。(火防総本山)
     秋葉総本殿と称され秋葉総本殿三尺坊大権現の道場です。
     袋井市にある3つの古刹を「遠州三山」と呼んでいるそうです。
      医王山油山寺(真言宗智山派)、萬松山可睡斎(曹洞宗)、
      法多山尊永寺(高野山真言宗)
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可睡斎(かすいさい)は、
静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺院で寺紋は丸に三つ葵である。山号は萬松山(ばんしょうざん)。本尊は聖観音(しょうかんのん)。
江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。遠州三山の1つ。

送られてきた画像を順不同にします。
可睡斎のひなまつりのパンフレット(出典元:ネット情報)
日本最大級の「32段・1,200体のひな飾り」。国登録有形文化財の迎賓施設「瑞龍閣」に展示される様子は絢爛豪華で圧巻です。今や袋井を代表する春の風物詩です。袋井市にある古刹の可睡齋では、供養した雛人形およそ3,000体による「ひなまつり」を元日から3月31日まで開催。

場所は、!!!、静岡県袋井市久能です。

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以上
コメント;
活人剣の物語・由来
活人剣は、
日清戦争当時の中国全権大使李鴻章と日本陸軍軍医総監の佐藤進の物語に由来です。暴漢に襲われて重傷を負った李鴻章を佐藤が治療した際、李が帯刀姿の佐藤に「医事に剣が必要か」と尋ねたところ、可睡齋で禅の修行を積んでた佐藤が「人をあやめる剣ではなく、生(活)かすための活人剣だ」と答えたことにより、李は深く感動し、交流は続いたということです。(出典元:ネット情報)