自由・気ままなぶらり散歩&散策あるばむ Ver. 2.0

毎日のぶらり日帰り散歩、散策で出会った風景、景観、鳥見、四季の花々を瞬撮して、日記、アルバム風に整理した備忘録帳

月齢16.8(満月プラス1日)

2018-12-30 | 自然・気象
おはよう、
今日(181224)は、澄みきった夜空から満月が見えました。調べると満月+1日です。黄金色に輝いて観えます。

2018年12月の月の朔望
日  時刻   状態
07 16時  新月
15 21時  上弦
23 03時  満月
29 19時  下弦

天体ショウ的にしました。写真右上が欠け始めました。
撮影時間:19:00頃

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以上
コメント;
私は、
相模原市のマスコットキャラクター「さがみん」です。

江東区清澄 大相撲・清澄にある相撲部屋(通りすがり)

2018-12-26 | 散歩、散策
おはよう、
今日(181222)は、中央区日本橋箱崎に用事があり、少し足を延ばし「江東区森下、常盤」周辺をぶらり散策して来ました。主に「芭蕉が奥の細道の旅の出立地」と云われているエリアを中心に回ってきました。(出発地は、千住だそうです)、(奥の細道 出立の地:深川の芭蕉庵の跡など)
「芭蕉稲荷神社」を後にして、萬年橋を渡り、「深川稲荷神社」に向かう途中に「相撲部屋」を発見(2度目ですがなかなか迷路)しました。萬年橋から地下鉄・清澄白河駅に向かう途中です。マップを見るとあと数相撲部屋がありそうです。次回に期待したい。昨今の相撲部屋は近代的なビルに構えています。
九州場所が終わり、現在休養、巡業中でしょうか!!!窓越しに練習の姿、掛け声、若手お相撲さんの姿も数人見られました。(清掃、洗濯干しなど)これからは大相撲・一月場所(両国・東京場所)に向けて、日々練習中、巡業中でしょうか!!!
コメントの記載内容の一部はネット情報です。(各部屋のHP、大相撲協会HP)

最初が、
高田川部屋」:
元関脇 安芸乃島関

 

次が、
尾車部屋」:
1985年の引退により、年寄「尾車」を襲名、「尾車部屋」を創立する。
元大関・琴風関、大相撲協会の幹部です。(巡業部長!!!)



次が、
大鵬道場・山嶽部屋」:
2010年7月大竜関が大嶽を襲名し、部屋を継承。17代大嶽となった大竜は大鵬部屋の出身で大鵬の直弟子に当たります。



そのほかに北の湖部屋(山響部屋)、錣山部屋があるそうですが、今回未発見でした。
山響部屋(北の湖部屋):江東区東砂に移られたそうです。
元横綱北の湖関の一代年寄北の湖が三保ヶ関部屋から独立して創設した。➝山響部屋にかわる。

錣山部屋」:
現役引退して井筒部屋の部屋付き親方となった20代錣山(元関脇・寺尾)が、2004年1月に内弟子2人を連れて分家独立して錣山部屋を創設した。
以上
コメント;

都内の某マンションからの月模様(月齢14.8)

2018-12-25 | 自然・気象
おはよう、
今日(181222)は、一部雲がかかっていますが、澄みきった夜空から満月が見えました。調べると満月マイナス2日です。薄白色に観えます。

2018年12月の月の朔望
日  時刻  状態
7   16時   新月
15   21時   上弦
23   3時   満月
29   19時   下弦

高層ビルの薄暗い影(建物)からのお月様、

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以上
オメント;

江東区常盤 芭蕉庵史蹟展望庭園を訪れ

2018-12-25 | 記憶、備忘録
おはよう、
今日(181222)は、中央区日本橋箱崎に用事があり、少し足を延ばし「江東区森下、常盤」周辺をぶらり散策して来ました。主に「芭蕉が奥の細道の旅の出立地」と云われているエリアを中心に回ってきました。(出発地は、千住だそうです)、(奥の細道 出立の地:深川の芭蕉庵の跡など)
芭蕉庵史跡展望庭園」は、隅田川の遊歩道沿いに芭蕉記念館の分館としてあります。昔「三つ股」と呼ばれた隅田川と小名木川との合流地点の岸辺に作られた庭園です。庭内には、毎日17:00に回転する芭蕉翁像や芭蕉庵のレリーフがあります。(17時では、門が閉まっています、見れません。)庭園って感じにはほど遠いです。芭蕉の像は、毎日17:00になると隅田川に向かって回転する。隅田川を行き交う船を見守るかのような、ライトアップされたその姿が、観光船上から見られるそうです。

展望庭園入口、階段を登ると庭園がひらける。(江戸を代表する俳人、松尾芭蕉が住まいを置いていたと言われる。)

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石階段の麓には案内板標があります。「赤穂浪士ゆかりの道

展望庭園の登り切った所(隅田川の拡がり心安らかになります。)

隅田川の様子を木柱柵に表現されています。

展望庭園の様子
やはり、池が中心!!!

北斎「冨嶽三十六景 深川萬年橋下」の絵画だそうです。

深川芭蕉庵」の説明板標

書かれている内容を書きました。
深川芭蕉庵:雑誌「ホトトギス」明治42年1月号に所載の図である。中村不折は幕末慶応2年(1866)生まれの書家・洋画家。本図は不折の祖父庚建の原画を模写したものであるという。従って本図の原画は19世紀初頭前後に描かれたものであろう。手前の土橋は「芭蕉庵再興集」所載図の土橋と似たところがある。
芭蕉翁像の坐像(一般的には立像の杖を持った像)」

この顔が本人に近いとされています。

隅田川を見下ろしている。

これが回転(45度)して、隅田川の方向に向くそうです。

展望庭園からの隅田川の眺め、遊歩道になっており、隅田川テラスと呼ばれています。
清州橋(残念、現在工事中です)吊り橋のスタイルが有名です。

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新大橋

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芭蕉の俳句の石碑が数個確認できます。

萬年橋(小名木川に架かる橋)」、萬年橋が架かる小名木川は正確には、川ではなく運河です。

小名木川の水門

ケルンの眺め」の案内鉄板標

川船番所跡」の案内板標
川船番所(かわふねばんしょ)は、
幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。


以上
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