今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

朝倉山 真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代)

2019年06月28日 | 神社・仏閣
朝倉山 真禅院
かつては南宮大社の僧坊であったという
明治維新の神仏分離のとき、三重塔、本地堂、鐘楼などの仏教関係の建造物が、この地に移築された
当初、この寺の存在はまったく知らず、「南宮大社」参拝後に境内図の枠外に塔のような図が記載されていたので訪れてみようと思ったのがきっかけだった

「朝倉山 南神宮寺」と彫られた石柱。この時は寺の名前さえ知らずにいた
寺のホームページで確認したところ「朝倉山 真禅院」となっている



山門
石造山門の奥に朱塗りの門がある



門には「朝倉山 真禅院」との記載がある



十王堂
山門の右横にある



堂名と本尊名が小さな木札に記されている。お堂の配置などをメモしながら撮っているが、これらの配慮にはいつも有り難いと思っている



いつものように、格子の隙間にレンズを突っ込み勘だけで撮っている



手水鉢






鉄塔(岐阜県指定文化財)
建物内に置かれているのだが、ガラスに光が反射して見えなかった



鐘楼(岐阜県指定文化財)



梵鐘(重要文化財)



奈良時代後期(美濃国最古の鐘)



三重塔(重要文化財)
山門に入ったときから塔が何処にあるのか目で探っていた
もちろん、この時はこの塔が重文だとは知らずにいた



これまで塔をたくさん撮ってきたが、遠くから見てもこのように塔がはっきり写るのは極めて珍しい



塔の側の案内板を見てはじめて重要文化財だと知った
寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築



寺社を廻っているのに信仰心はまるでなく申し訳ないのだが、この時は神様のお蔭だと感じていた



この塔はどの角度から撮っても綺麗に見える



本地堂(重要文化財)
入母屋造瓦葺き、妻入りの仏堂。寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築



慶長5年(1600年)9月の関ヶ原合戦時、南宮大社及び「神宮寺」の諸堂社は、兵火にかかり烏有に帰した



寛永19年(1642年)9月に遷宮式が執行された。春日局が徳川家光の代参で来ている



護摩堂



釈迦堂



観音堂
建物を撮り忘れてしまった。堂内の様子
本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。お前立ちに聖観音菩薩様を安置



賓頭盧尊者






帰り際にもう一度「三重塔」の姿を目に焼き付ける






撮影 令和元年5月16日

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