今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

八重垣神社(島根県松江市佐草町227)

2024年07月31日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月22日
八重垣神社(旧称:佐久佐神社)
憧れていた神魂神社参拝後の予定については全く考えていなかった
スマホで最寄りの有名寺社と検索すると、徒歩2km圏内に八重垣神社があった
昨年、この神社を初めて訪れたのだが、神魂神社が近くにあるとは思わなかった

八重垣神社の夫婦椿(連理玉椿)
その昔稲田姫命が2本の椿の枝を立て、それが芽を出し一身同体になったと伝えられた夫婦椿
東京資生堂の花椿会の由来とされている



鳥居
額には社号の「八重垣神社」
日本神話に登場する「ヤマタノオロチ」を退治した素戔嗚尊とその妻になった櫛稲田姫縁の神社である



手水舎



随身像
神社境内の神門に置かれ、神社を警護するものとして造られた像






神門の先に拝殿が見える



狛犬
歴史を感じる狛犬



製作年代は不明
この地方の「出雲構え型」とも異なる容姿で、来待石を使った狛犬



由来記
素盞嗚尊と櫛稲田姫の故事から縁結びの神社として信仰を集める



拝殿
素戔嗚尊は天より降って出雲の國の簸の川上に到った。その時、川上で泣き声が聞こえた
そこで声の方を尋ねると、老夫婦がきれいな少女を間にして泣いていた
老夫婦は脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)といい、少女は二人の娘で奇稲田姫(くしいなだひめ)といった



素戔嗚尊は泣いていた理由を尋ねた
老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった
そして残った奇稲田姫ももうじき食べられてしまうので、悲しくて泣いていたのだという



素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た
老夫婦は喜んでその申し出を承諾した。すると素戔嗚尊は奇稲田姫の体に触れ、たちどころに湯津爪櫛(ゆつつまぐし)の形に変えてしまった
素戔嗚尊は湯津爪櫛になった少女を御髻(みづら)に挿し、脚摩乳と手摩乳に八回醸した酒を作らせ、八面に塀を立て、各々一つずつ樽を置き、酒を盛らして待った



時が過ぎ八岐大蛇が現れた。頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は赤い鬼灯のようであった。
松や柏が背中に生えていて、八つの丘、八つの谷の間に延びていた。
大蛇は酒を飲もうとして、頭を各1つの樽に入れて飲み、酔って眠ってしまった。
そこで素戔嗚尊は十握剣(とつかのつるぎ)を拔いて、ずたずたに八岐大蛇を斬った。
尾を斬った時、剣の刃が少し欠けた。そこでその尾を割り裂いて見ると、中にひとふりの剣があった。
これがいわゆる「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」である

本殿
祭神:素盞嗚尊、櫛稲田姫



本殿背面






参集殿



伊勢宮
祭神:天照大御神



脚摩乳神社
祭神:脚摩乳命(稲田姫命の父親)






手摩乳神社
祭神:手摩乳命(稲田姫命の母親)



貴布禰神社
祭神:高靇命



石碑
素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後
「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」
と詠んで櫛稲田姫との住居を構えた



松尾芭蕉の句碑
「和歌の跡とふや出雲の八重霞」



社日社
社日とは春分及び秋分に最も近い戊(つちのえ)の日



山神神社
祭神:大山祇命



宝物収蔵庫
重要文化財の「板絵著色神像(本殿板壁画)3面」が収蔵されている



奥の院へ
奥の院 佐久佐女の森 入口



鏡の池
素盞嗚尊が八岐大蛇を御退治する際、稲田姫を難から救った場所
森の大杉の周囲に「八重垣」を造り、稲田姫を隠した



天鏡神社
祭神:稲田姫命



稲田姫命が八岐大蛇の難を避けるため、八重垣に隠れた時に飲料水とし、また姿を写した池と伝えられている






「鏡の池の縁占い」
近くに若いカップルが、池に占い用紙を浮かべていた
早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると伝えられている
硬貨を乗せた紙は遠くへ流されていく
そこで女性が放った言葉が「今度はどんな人と出逢うのだろう」



現代の「稲田姫」は頼もしい(笑)






撮影 令和6年5月22日
コメント
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