詩 の 雫

人生の喜怒哀楽を <冠 句> に深め・・・ 

“春夏秋冬の囁き”を 爽やかな風 にのせて・・・

     

「ありがとう」から始まる日

2012年12月10日 09時50分24秒 | Weblog

 

   <自分の心と向き合えば>

        ≪連冠句≫   「やっと晴れ」・・・

                   重い口 泣きたい時もあったけど

                   重い口 狡い保身に逃げた悔い

                     ・・・ 良き助言 心の澱み押し流す

        【冠 句】     二つ三つ 互いに探る妥協点

        【冠 句】     先思う 修復できる距離に居る

        【冠 句】     期待して 打開の一歩いま踏まな

        【冠 句】     歩み寄る 詫びる切っ掛けくれし友

        【冠 句】     夕陽背に 平静心を戻せそう

        【冠 句】     蒼む山 晩節の悔いひとつ消す

        【冠 句】     愛ほのか ありがとうから始まる日

 

  人間関係はどの場所に居ても色々な難しさを感じます。

  趣味のサークルにも気の合う人、中々歩み寄れない人もいて、楽しい筈の趣味が

  負担の場所になったりもします。

  乱した感情を戻し、一歩引く解決の仕方もありました。只どうしても曲げられない考え方の

  違いの一線は、周りから頑固だと言われても、信念を通す事も大事なことだと思います。

  そうして、苦い去り方をした仲間に、ある一面の悔いを引きずっていますが・・・

  ”ありがとう” が、素直に口に出せる人との向き合い方を忘れないで生きたい!そんな

  風に思いながら、私の冠句を振り返ってみました。

 

  年賀状の準備をする時期になりました。 今年も淋しい忌中葉書が、3枚届きました。 

  その1枚は、52歳で逝った病友の早すぎる死の報せでした。

  互いに手術後の辛いリハビリを、声掛け合って頑張った、正に戦友でした。数々の病に

  克つことが叶わず、力尽きて、、、ご主人から涙の声を聴き、精一杯のお悔やみの言葉を

  かけて、受話器を置きました。 もっと会っておけばよかったと、哀しい悔いが残り哀しい

  無念の涙が溢れてきます。

  

  そして昨日、「葉牡丹」の寄せ植えを、友人が持ってきてくれました。

  荒れ果てた野山を有志で開拓し、子供達の夢を広げる素晴らしい「里山」を再生した

  行動力のある友人です。NPO法人も立ち上げて、昔楽しんだ自然の遊び遊具を全て

  手作りで設置し、可愛いツリーハウスからは、子供達が虹色のシャボン玉を吹き飛ばし

  青空に輝きました。いつも前向きに色々な事に率先して行動し、その生き方を尊敬する

  年上の友人ですが、学ぶ事が一杯あり、知り合えて本当に良かったと思います。

  多くの人との触れ合いから、得ることの素晴らしさを沢山感じ、<たからもの>である

  ”友達”を大切にしていきたいとしみじみ思います。

 

                             

      友人から頂いたお正月の花            庭にも実が一杯

 

      今日もお立ち寄りいただき、有難うございます。

  

  

  

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8 コメント

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感謝の気持ち、言葉 (kenny)
2012-12-11 07:52:29
今 年賀状を書いています。12年はすぐ上の兄が11年に他界しており一年空きました。私も何人かの友人知人の喪中葉書が届いています。中には女性で中学では生徒会で正副として活動し、以来同級会でお会いし、最近は年賀状の交換をしておりました。 また退職後は郷土史を一緒にやろうと云っていた彼が長い闘病の末に・・・。

元気で活動できる今に感謝しています。 退職して以来、人が変わったように(笑)近くの友、日々お会いしてお互い助けあって生きて行きたい特に向う三軒両隣りには私から必ず挨拶をしてます。今ではそれでだろうか合えばお話もするようになりました。思っていたよりも明るくお話し易い方が多いですね。もっとも案外気さくなやつやったんやなーと、逆に思われてもいるでしょうかね。

元気であることに感謝して、その気があってもそれぞれの事情があって活動が出来ない方々に何かの形で感謝の気持ちをお返しできないかと思う次第です。ギターを初めたのもそれが理由のひとつです。幸い一人でなくて多くの友人ができました。 またこれからも今年のような演奏活動ができればと思います。気張らす、頑張らず、出来ることを出来る範囲でやっていきたいと思っています。いつも一番に手を挙げて下さるポエムさんに感謝します。

ポエムさんもお聞きした事はないけれど感謝の思いは同じと思っています。ブログにも表れていますしいつも感心しております。

何度も読んでいまして(特に句は・・、辞書も要ります・・・)コメントが今朝になりました。

今日のコメントはちょっとポエムさんの今回のブログの趣旨から外れたかもしれません。

ありがとうございました。 Kenny

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Kennyさま (ポエム)
2012-12-11 16:18:28
温かいコメントを頂き、有難うございます。
年賀状は面倒な気持ちも少ししますが、1年に一度交わす近況報告も嬉しくて、生涯何処かで繋がっている絆を感じます。何時何処で出会っても、ぱっと話が弾む友人達がいます。これも年賀状のお陰だし、先日裏面のデザインは作れたので、日曜日に表面も一気に仕上げたいと思っています。もちろん一人一人に宛てる添え書きも、考えています。
やっぱり元旦に届く賀状は嬉しいです。

今やっと色々な事が出来る環境になりました。趣味を生かして身丈に合った事で、社会とかかわっていければ幸せだと思います。今後とも良いお友達でいて下さいね。
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Unknown (花キャベツ)
2012-12-11 21:28:41
趣味のサークルの人間関係はかなり難しいですね。
いろいろなバックグランドの人が趣味だけで集まっているので、建設的な意見より無責任な発言が多いからだと思いますよ。リーダーになる人は包容力があることは勿論ですが信念を貫く人でなければ務まりませんね。会社や体育会系の部だと上意下達で纏まるのですが。

さて今回の句はその辺の難しさをついた句ですね。

・二つ三つ 互いに探る妥協点
・歩みよる 詫びるきっかけくれし友

この2句からなるべく平穏に解決しようとされているポエムさんのやさしい気使いがわかります。

・愛ほのか ありがとうから始まる日

この通りだと思いますよ。ポエムさんの優しさがあればどのような方も心を開いてくれるのではないでしょうか。しかしリーダーとして目的達成のために大勢の人をまとめて行くには強い心も必要ですね。

川柳のこんな句で秀逸になったことがあります。
・和解する心の窓を開けて待つ

年賀状を準備する頃になってきましたね。
私にも喪中の連絡が何通か来ています。若い人のもおられて心が痛みます。

せいぜい年に一度は生きているぞの証に年賀状を心をこめて書きたいと思っています。
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花キャベツさま (ポエム)
2012-12-12 10:32:52
いつも有難うございます。
年齢を重ねて、若かりし頃よりは上手く立ち振舞えるようになったかと思いますが、、、まだまだ感情の起伏が激しい一面があるので、時々失敗します。
ただ以前と違う所は、翌日までそのモヤモヤ感を持ち越さない工夫というか配慮が出来るようになったかと思います。「ごめんね。」「ありがとう。」が、揉め事の解決の糸口、そんな風に思い過ごしています。

「心の窓を開けて待つ」  いい川柳ですね。
一年を振り返る12月、私も大きな心の窓を開けて、人との触れ合いを温めたいと思います。
年賀状、日本のいい風習ですね。
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二人 (茲愉有人)
2012-12-15 19:02:47
人間関係って、やはり一番難しい・・・人間関係の最少単位は2人ですね。

人間関係については、いろいろと悔いを残しています。普段は心の底の方に沈殿してしまっている記憶の思いもあります。
人間関係での悔いの思いから、拝読句は琴線を振るわせるものばかりです。

その中で、私は特に

二つ三つ 互いに探る妥協点

 思い返せば、いくつも経験しています。実感としてストレートにそうだなあ・・・

歩み寄る 詫びる切っ掛けくれし友

 そうなんですよね、きっかけづくり。ちょっとしたことがきっかけになって、
 「友」以外に、つれあいの場合でも・・・
 切っ掛けをこちらがつくれない、心の狭さにいらだたしさを感じることも。
 早く歩み寄りたいのに・・・。

この二句、ストレートに響いてきました。

そして、この句が好きですね。

 愛ほのか ありがとうから始まる日


こんなのをご紹介しましょう。
安岡正篤著『百朝集 最新版』の「四六 二人」の項の末尾に載っている部分です。
「古今名賢心腹の語録」として講じられた章句を編輯した本なのです。

  同じ二人でも心を異にすれば? 答は蕪村の句で、

  二人して 掬(むす)べば濁る 清水かな

この句、『蕪村句集』(玉城 司 訳注、角川ソフィア文庫)では、句の訳の後に、
「ひとり住む(澄む)隠者も、二人交われば、濁ってしまう。蕪村・年次未詳『世に流れ出ては濁るか山清水』自画賛と同じ発想。」と解しています。
(尚、伊勢物語と古今集の歌を引き、それらを「下敷きにした恋の戯れとみることもできる。」という解も付記していますが・・・。)

隠者においても二人が寄れば難しい人間関係なら、我々凡人では・・・。
だからこそ、濁る度に清くする工夫と努力がいりますね。

拝読の冠句から、いろいろ思いを馳せました。ありがとうございます。
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茲愉有人さま (ポエム)
2012-12-15 22:56:00
いつも有難うございます。
穏やかな日々をと願いながら、凡人のつまらぬ諍いに後悔することも多い私です。今日もちょっとしたことで、、、自分の醜い部分を出して、思い気持ちを引きずっています。
反省したことを、句に生かせればいいのですが・・・

拝見しました「濁る度に清くする工夫と努力がいります」というコメントを今、噛み含めています。
余り目に触れたことがない分野の本を、教えていただき有難うございます。いつも茲愉有人さんの知識の深さに驚いています。
明日は年賀状を頑張ろうと思います。(冠句塔社の仕事もありまして、かなり多忙ですが、、、)
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ありがとう 貴女が居るから生きられる (直樹)
2012-12-16 23:44:27
ありがとう 素敵な言葉です。

色々な「ありがとう」があると思います。

一年無事でありがとう

暮れる年に感謝して明日に向かいたいものです。

ファイト! ファイトです。
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直樹様 (ポエム)
2012-12-17 09:58:50
有難うございます。
一人では決して生きていけないですよね。
家族、友人、恩師、、、みんな「ありがとう」の気持ちで接して、労わり合って、励ましあって、大事な日々を送りたいと思います。
まず健康第一に、頑張って過ごしたいと願います。
ファイト! いいメッセージですね。 ☆ありがとう☆
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