【メディア万華鏡】全国民が小姑化?「眞子さま結婚報道」は変わったのか <山田道子・元サンデー毎日編集長>
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20211014/biz/00m/020/008000c?cx_fm=mailbiz&cx_ml=article&cx_mdate=20211019
◆ 珍しく有料記事扱いではないので、上のURL からお読み戴きたい。私が特に引用して読者の皆さんに考えて戴きたい大事な部分は次の段落だ。
「物語」としての皇室報道
1)週刊朝日にも登場し、眞子さまの結婚報道批判の急先鋒(きゅうせんぽう)に躍り出た森教授は「平成の天皇制とは何か」(岩波書店)に著した「メディア天皇制論――『物語』としての皇室報道」
で、次のような論を展開している。
<皇室報道は直接取材が困難なので、記事を書くに当たっては、例えば「公務と跡継ぎづくりの間で悩み苦しむ雅子さま」などといった前提や暗黙の了解があり、それらと取材事実を因果関係で
結んだ時に「物語」、すなわち報道になる。そして、報道の中には人々が見たい、聞きたい「物語」が存在するのだという。
2)眞子さまと小室さんは、人々が求めるドラマチックな「物語」の格好の主人公。報道がスキャンダラスになるのは避けられないのかもしれない。さらに、儀式を行わず一時金を受け取らない前例の
ない結婚、逃避行のようなニューヨークでの生活は、物語への欲求の火に油を注いだ。
3)「小姑」として言わせていただくと、宮内庁の責任は重大だ。本当に眞子さまのことを心配して、事実に反する「誹謗中傷」報道が本当にあったのなら会見で指摘したり、ホームページの
「皇室関連報道について」に反論を載せたりすればいいのに。そうすれば、少しは「物語」を変えることができるのでは。
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(1)(2)報道で、嘗ては物語チックに語るなど想像もできなかった皇室報道を彩っている『物語性』の源は、小泉元首相が始めた<劇場型政治>にある。
それは90年代以降の世界政治&経済構造の劇的な変化に乗り遅れ、夢を描けなくなった国民や為政者には「ドラマ」「劇場型パフォーマンス」に救いを求めるしか無かったからだ。
だが、所詮、ドラマは虚構でしかない。パフォーマンスは虚構をきらびやかに彩るだけで、何も残さない・・・。
(3)が、いみじくも言い当てているのは、「3S政治」と田中均氏が名付けた無責任官僚行政の宮内庁ヴァージョン。「説明せず」そのものだ。説明しない事が皇室の権威?を保つとの誤解?
必要ならば反論することが、結婚に空疎な「物語性」を纏わせない為にも大事だ、と論理的にはなる筈だが、どうして、そういう道筋を宮内庁は歩まないのか????
そこも含め、今回の報道ドラマチック騒ぎから国民は何を学ぶのか?
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20211014/biz/00m/020/008000c?cx_fm=mailbiz&cx_ml=article&cx_mdate=20211019
◆ 珍しく有料記事扱いではないので、上のURL からお読み戴きたい。私が特に引用して読者の皆さんに考えて戴きたい大事な部分は次の段落だ。
「物語」としての皇室報道
1)週刊朝日にも登場し、眞子さまの結婚報道批判の急先鋒(きゅうせんぽう)に躍り出た森教授は「平成の天皇制とは何か」(岩波書店)に著した「メディア天皇制論――『物語』としての皇室報道」
で、次のような論を展開している。
<皇室報道は直接取材が困難なので、記事を書くに当たっては、例えば「公務と跡継ぎづくりの間で悩み苦しむ雅子さま」などといった前提や暗黙の了解があり、それらと取材事実を因果関係で
結んだ時に「物語」、すなわち報道になる。そして、報道の中には人々が見たい、聞きたい「物語」が存在するのだという。
2)眞子さまと小室さんは、人々が求めるドラマチックな「物語」の格好の主人公。報道がスキャンダラスになるのは避けられないのかもしれない。さらに、儀式を行わず一時金を受け取らない前例の
ない結婚、逃避行のようなニューヨークでの生活は、物語への欲求の火に油を注いだ。
3)「小姑」として言わせていただくと、宮内庁の責任は重大だ。本当に眞子さまのことを心配して、事実に反する「誹謗中傷」報道が本当にあったのなら会見で指摘したり、ホームページの
「皇室関連報道について」に反論を載せたりすればいいのに。そうすれば、少しは「物語」を変えることができるのでは。
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(1)(2)報道で、嘗ては物語チックに語るなど想像もできなかった皇室報道を彩っている『物語性』の源は、小泉元首相が始めた<劇場型政治>にある。
それは90年代以降の世界政治&経済構造の劇的な変化に乗り遅れ、夢を描けなくなった国民や為政者には「ドラマ」「劇場型パフォーマンス」に救いを求めるしか無かったからだ。
だが、所詮、ドラマは虚構でしかない。パフォーマンスは虚構をきらびやかに彩るだけで、何も残さない・・・。
(3)が、いみじくも言い当てているのは、「3S政治」と田中均氏が名付けた無責任官僚行政の宮内庁ヴァージョン。「説明せず」そのものだ。説明しない事が皇室の権威?を保つとの誤解?
必要ならば反論することが、結婚に空疎な「物語性」を纏わせない為にも大事だ、と論理的にはなる筈だが、どうして、そういう道筋を宮内庁は歩まないのか????
そこも含め、今回の報道ドラマチック騒ぎから国民は何を学ぶのか?